経済力
経済力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 14:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動経済力(けいざいりょく)とは国家の経済的状況を国力の一要素として捉えた能力である。
概要
国際関係においては特に軍事力が勢力均衡を形成する根本概念と位置づけられている。しかし軍事力だけが国家の能力を決定しているわけではなく、経済力も国力として考えられている。国家にとって経済は国民の生活を維持させ、産業を振興し、国際市場での競争力を高める意義があるが、安全保障にとっては自給能力を高め、軍事力の産業的基盤を育成し、国際市場への影響力を高める意義がある。
経済を国力として捉える試みには多くの先駆者がいる。経済学者のアダム・スミスは『国富論』において重商主義の批判と市場経済の在り方を論じたが、同時に軍備の必要性と保護主義を論じており、当時のイギリスの植民地政策についての植民地を経営するために必要な軍事力や行政能力を超える収入がなければならないと指摘した。またアレクサンダー・ハミルトンはアメリカにおける製造業の保護と振興を国防の観点から論じた『製造業に関する報告』を著しており、この考えた方は経済学者フリードリヒ・リストの思想にも認めることができる。リストはアメリカやイギリスの経済についての研究を進め、経済力が国際的地位を高めることを主張しており、国家が自給自足の経済を持たなければ戦争のような非常事態に対応することができなくなると考えていた。
このような経済の見方は戦争のような国際関係の緊急事態に着目した視座であったが、非軍事的安全保障の重要性が高まり、また総力戦のような国力全てを動員するような戦争の形態が登場したことで経済力を戦略的に運用するこの意義はより高まった。国際政治における経済力は報酬と懲罰の二つの基本的形式に沿って運用され、その具体的な手法として経済制裁、総動員、通商破壊、海外援助、価格操作などの方法論が第一次世界大戦や第二次世界大戦、冷戦を通じて確立されるようになった。
経済力は経済体制、産業構造、資源、生産技術などの諸要因によって決定される。経済体制は自由な市場取引が可能な市場経済と政府からの経済計画に従う指令経済の二つに大別できる。さらに産業構造は食糧や材料を供給する第一次産業、武器や兵器を供給する第二次産業、そして運輸や通信などのサービスを供給する第三次産業に大別することができる。加えて資源は農業や水産業の生産物としての食糧、製造業の生産物の素材となる鉄や銅、マンガン、硫黄などの工業原料、石炭や石油などのエネルギーの三つに大別されうる。そして生産技術はより少ない資源でより多い生産物を生産する能力を向上させる大量生産方式などの科学技術である。これら諸要素によって経済力の程度が決定されることになる。
参考文献
- 防衛大学校安全保障学研究会編『最新版 安全保障学入門』(亜紀書房、2005年)
- 服部実『防衛学概論』(原書房、1980年)
- ピーター・パレット編、防衛大学校・「戦争・戦略の変遷」研究会訳『現代戦略思想の系譜 マキアヴェリから核時代まで』(ダイヤモンド社、1989年)
- Yuan-li Wu, Economic Warfare. (New York: Prentice-Hall, Inc., 1952)
関連項目
経済力
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「カリフォルニア州の歴史」の記事における「経済力」の解説
逆にこの同じ時期に、ゴールデンステート(カリフォルニア州の渾名)は天文学的数字で商業と産業の膨張もあった。1960年の高学歴マスタープランの採用で、コミュニティ・カレッジやカリフォルニア大学とカリフォルニア州立大学で高効率の公的教育制度を発展させた。教育を受けた人材を生み出すことで、特にハイテクに関わる地域での投資を呼んだ。1980年までに、カリフォルニアは世界でも8番目に大きな経済という認識があった。経済の膨張に対応するために何百万という労働力が必要だった。当時の高い人口成長率によりアーバン・スプロール(都市の不規則な拡がり、ドーナッツ化現象)、交通、公害、また程度は低いものの犯罪という途方もない問題を引き起こした。 アーバン・スプロールは多くの都会で反動を生み、地方政府はある領域では成長を制限し、家を建てるための宅地面積を減らすなどした。未開発の土地を取得し、維持保存するために州内の幾つかの場所にオープンスペース地区が設けられた。例えば、サンフランシスコ湾地区では、オープンスペース地区が湾の都心を取り囲む海岸地域や丘を通して、恒久的に未開発の土地がほぼ切れ目無く続いており、大きな自然公園を作ることを可能にし、ハイキング道路を想定して、最終的には一続きの環で湾を取り巻くことになる。 大気汚染(スモッグ)という大きな問題は1970年代初期に大きくなり、また反動も生んだ。オゾンの数値が不健康にまで高まると「スモッグ・デイ」とされて都心の学校は周期的に閉鎖され、都会を取り巻く丘は1マイル (1.6 km)以内ですら滅多に見えなかった。カリフォルニアは変化に対応できた。その後の30年間にわたり、合衆国でも最も厳しいスモッグ取締規定を作り、自動車を含み様々な産業に汚染の無い戦略を奨励する指導的存在となった。例えばカープール・レーンは通常2名または3名以上を乗せている自動車のみが通行できた(2名あるいは3名という数字は道路による)。ただし、電気自動車は乗員1人でも走れた。その結果、ピーク時に比べればスモッグはかなり減ったが、地方の大気質管理地区は今でも大気の状態をモニターしており、暑くてスモッグが最悪になると予測される日には汚染を生む行動を避けるよう奨励している。 交通と輸送は都会の問題として残っている。解決策は示されたが、その計画、承認および施設を作るための費用や時間は人口増加の速度に間に合っていない。幾らかの改良は行われた。カープール・レーンは都会で当たり前になり、一人で車を運転するよりも相乗りを奨励することが意図された。サンノゼは徐々にライトレールを敷設しつつある(皮肉なことに、元々の世紀の変わり目頃にできた電車の線路は、自動車時代の到来を奨励するために剥がされ舗装されていた。その道がライトレールに今使われている)。解決策のどれも批判を受けないものは無かった。サンフランシスコ湾地域やロサンゼルス盆地での郊外への拡がりに対応して、それなりの人口に対応できる大量輸送機関を建設するのが難しかった。 1970年代、東南アジアでの戦争が終わり、その地域の国、特にベトナムから新たにやってくる者の波が訪れ、その多くはカリフォルニアに入った。大半は一生懸命働き厳しい環境で生活した。ウェストミンスターやオレンジ郡のガーデングラブにはリトル・サイゴンが造られた。
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「経済力」の例文・使い方・用例・文例
- 日本の経済力で、中国より勝っている。
- 一国の経済力はその生産力だけでなく消費力にも存する。
- アメリカ合衆国の経済力は昔日のようではない。
- 21世紀は経済力を基盤とするようになるだろう。
- 日本の経済力はほかの多くの国々の経済力をしのいでいる.
- 経済力がありながら,途上国援助や国際的義務の遂行に非協力的な国
- 経済力の大きい国
- 諸外国による日本の経済力への対応策
- 軍事力と経済力に富んだ強い国
- バングラデシュの国民は自分たちの社会で影響力を持つために自立した経済力を身につける必要があると思いました。
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