経済・労働大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 04:29 UTC 版)
「ヴォルフガング・クレメント」の記事における「経済・労働大臣」の解説
2002年のドイツ連邦議会選挙後、議席を減らして求心力を弱めた連邦首相のゲアハルト・シュレーダーの求めに応じ、10月21日にノルトライン=ヴェストファーレン州首相(および州議会議員)を辞任、第二次シュレーダー内閣に経済・労働相として入閣した。これは改革断行に苦しむシュレーダー内閣の目玉人事とされ、経済大臣と労働大臣を兼任するクレメントは「スーパー大臣」と呼ばれた。クレメントはここでも、飲料缶のデポジット制導入、将来の原子力発電所全廃、京都議定書で定められた温室効果ガスの排出権取引導入などをめぐり、緑の党所属の環境相ユルゲン・トリッティンとの困難な調整に取り組まなくてはならなかった。新自由主義的と批判され閣僚も多くが難色を示したシュレーダー内閣の改革案「アゲンダ2010」にも、クレメントは積極的な賛意を示した。 「アゲンダ2010」が不評でシュレーダー内閣が何度も退陣要求を突きつけられたとき、後継の首相としてクレメントの名が取りざたされたこともあった。東欧革命時の東ドイツでのデモに倣った「月曜デモ」(社会保障削減反対デモ)をクレメントが「歴史の悪用」と評した際に激しく非難されるなど、シュレーダー内閣でも目立った存在だった。2005年8月に経済労働省が作製したパンフレットで、クレメントが寄せた前文で社会保障について「寄生」という言葉が使われていたことが大衆紙によって広く報道されたため、失業者団体や(当時は政党連合の)左翼党などから激しく攻撃された。同時期のテレビ出演でも、社会保障受給を寄生者とも取れる発言をして批判を浴びた。この年9月の選挙結果を受けてシュレーダー政権が退陣したため、クレメントは大臣職から離れた。
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