大臣職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 16:34 UTC 版)
「カール=テオドール・ツー・グッテンベルク」の記事における「大臣職」の解説
連邦経済相ミヒャエル・グロースが突然辞意を表明した2009年2月、その後任として第1次メルケル内閣に入閣した。37歳での経済相就任はドイツ連邦共和国史上最年少である。オペル社救済問題では親会社であるゼネラルモーターズのあるアメリカ合衆国を訪問して交渉に当たり、注目を集めた。第2次メルケル内閣が成立した同年10月に、辞職した前任者を引き継いで国防相に転じた。これもドイツ連邦共和国史上最年少での国防相就任となる。 2009年9月27日に投開票された2009年ドイツ連邦議会選挙では68%もの票を集めてトップ当選。これは全議員の中でも最高水準であり、南ドイツ新聞は「得票王」との見出しを付けた。公共放送局のZDFが2009年10月末に実施した世論調査では、メルケル首相やペール・シュタインブリュック元財務相を抑え「最も評価が高い政治家」に選ばれる。メルケルの有力後継候補とも見られたが、2011年になって2007年にバイロイト大学に提出した博士論文に既存の論文などからの盗用疑惑が持ち上がり、国防相辞任を求める声が野党から上がった。バイロイト大学より博士号を剥奪され、3月1日には混乱の責任を取り辞表を提出した。同時にドイツ連邦議会議員も辞職した。国防相時代には財政難を背景に徴兵制度の見直し(実質的な廃止)の推進を行なった。
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