第49代・第50代ニュージーランド議会
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「モーリス・ウィリアムソン」の記事における「第49代・第50代ニュージーランド議会」の解説
2008年ニュージーランド総選挙(英語版)後、国会はハング・パーラメントとなり、コンフィデンス・アンド・サプライ(英語版)を行う3人の協力者を得て、国民党は少数与党内閣を結成した。ウィリアムソンは党の高位に就いていたが、道路通行料に関する党の政策で、選挙運動中に失策を重ねていたため、内閣の一員には選ばれなかった。彼は、税関、建設、統計、小企業に関する閣外大臣を務めることになった。在任中の大仕事としては、進行していたリーキー・ホームズ・クライシス(英語版)があり、問題の膨大さから政府も「途方に暮れている」と認めた。 2009年7月には、性的不祥事を起こしたとして、ジョン・キー首相が、リチャード・ワース(英語版)の大臣職を解き、その後ワースが議員職を辞するという事件があった。ウィリアムソンはネイサン・ガイ(英語版)が正式に引き継ぐまで、ワースが務めていた内政・国立図書館・ニュージーランド公文書館(英語版)担当の各大臣職を代理で務めた。 第50代ニュージーランド議会(英語版)の選挙後、ウィリアムソンは再び議席を獲得し、国民党による2期目の内閣で大臣職を得た。ウィリアムソンは2008年以来の税関・国土情報・建設の各大臣職を維持したが、ACTニュージーランド(英語版)との連立を行うため、小企業担当大臣の職はジョン・バンクス(英語版)に引き継いだ。ジョー・グッドヒュー(英語版)、チェスター・バロウズ(英語版)、クリス・トレメイン(英語版)と共に閣外大臣の職も務め、2014年5月の全閣僚職辞任まで継続した。 2014年5月1日、ウィリアムソンは閣僚職を辞任し、当時の首相だったジョン・キーは「捜査について警察と議論するというのは、ウィリアムソン氏の大きな判断ミスだった」と述べた。ウィリアムソンの辞任は、国民党へ寄付を行っていたビジネスマンのドングヮ・リウ(英: Donghua Liu)が、国内で傷害事件を起こしたとして取り調べを受け、取り調べについて彼が警察へ問い合わせをしたとして、引責したものである。ウィリアムソンはこの件について、捜査の進行に干渉するつもりはなく、リウがニュージーランドに多額を投資していることから捜査が行われているという話が本当か確かめたかっただけだったとしている。 2016年7月、ウィリアムソンは2017年の選挙には出馬しないことを表明した。ほぼ同時期にロサンゼルス郡サンタモニカでのニュージーランド総領事職に任命されたが、補欠選挙を避けるため、自身の任期満了を待って赴任した。
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