国民党へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 21:51 UTC 版)
「国民同盟 (スペイン)」の記事における「国民党へ」の解説
下院議員ではなく、上院議員であったアントーニオ・エルナンデス・マンチャの党首への選出は、エルナンデス・マンチャに下院において直接的に首相のフェリーペ・ゴンサーレスと対決できないというはなはだ不都合な戦い方を強いることとなった。エルナンデス・マンチャは絶対多数を握っている社会労働党政権に対して不信任案提出という無謀な策を企図した。これは、資格のないエルナンデス・マンチャに下院での討論を認めさせるように大衆に仕向けるための方便だったとの見方がある。 結局1989年エルナンデス・マンチャは党首の職を辞し、フラガが再び党首に返り咲いた。そして、同年の党大会で、政党の寄り合い所帯的な国民同盟から、より一体的な政党へ生まれ変わるために国民党としての再結党が行われた。フラガは初代党首に、フランシスコ・アルバレス=カスコス(スペイン語版)が幹事長に選出された。 この新生国民党再結党の過程で、1989年キリスト教民主党(国民民主党から再結成された)と自由党が、そして1991年にはガリシア中道党が国民党に合流した。また、同91年にはナバーラ住民連合との間で、同党がナバーラ州における国民党の支部として活動する協定を締結した。 1989年6月社会労働党のマドリード自治州首相ホアキン・レギーナに対して不信任動議を提出したが、身内から造反が出たため、最終的に失敗に終わった。 1989年9月4日、ホセ・マリア・アスナールカスティーリャ・イ・レオン州首相(当時)を次期総選挙の首相候補として選出した。翌年4月にアスナールは国民党党首となり、フラガは同党創設者とされた。
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