国民党の台湾撤退と日本人軍事顧問とは? わかりやすく解説

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国民党の台湾撤退と日本人軍事顧問(白団)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:04 UTC 版)

国共内戦」の記事における「国民党の台湾撤退と日本人軍事顧問(白団)」の解説

中国人民解放軍に対してまともに対抗できないほど弱体化した中華民国政府蔣介石は、1949年1月16日南京から広州への中央政府撤退させたのを皮切りに重慶同年10月13日)、成都11月29日)へと撤退した挙句中国大陸から台湾へ撤退決定し残存する中華民国国軍兵力国家個人財産など国家存亡をかけて台湾運び出し最終的に1949年12月7日中央政府機構台湾移転して台北市臨時首都とした。 このような中華民国政府動き対し中華人民共和国政府当初台湾へ軍事的侵攻検討していたが、1950年6月25日勃発した朝鮮戦争兵力を割かざるを得なくなった為、人民解放軍による中華民国政府への軍事行動一時的に停止する。なおこの間人民解放軍朝鮮戦争介入する一方でチベット侵攻し、さらにベトナム民主共和国武器援助軍事顧問派遣行い第一次インドシナ戦争介入していた。 なお、1949年根本博中将(元支那派遣軍参謀長)は占領下の日本から台湾密航し中華民国の軍事顧問として古寧頭の戦い作戦指導行い人民解放軍との戦いで成果上げている。 蔣介石依頼受けた支那派遣軍総司令官岡村寧次は、密かに富田直亮陸軍少将中国名白鴻亮率い旧日本軍将校団白団)を軍事顧問として台湾密航させ、蔣介石支援した地縁血縁によって上下関係構築されるなど、長い戦乱軍紀乱れきっていた国民党軍幹部近代的な軍事技術伝授し、軍の近代化推進。特に艦艇航空機運用面で改善著しく、八二三金門砲戦防衛成功際立った効果をあげた。 白団による中華民国国軍への指導1960年代末まで行われた詳細は「白団」を参照

※この「国民党の台湾撤退と日本人軍事顧問(白団)」の解説は、「国共内戦」の解説の一部です。
「国民党の台湾撤退と日本人軍事顧問(白団)」を含む「国共内戦」の記事については、「国共内戦」の概要を参照ください。

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