国民党の左右対立と武漢遷都
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「武漢国民政府」の記事における「国民党の左右対立と武漢遷都」の解説
1926年7月、蒋介石はみずから国民革命軍総司令となって、いわゆる「北伐」を開始した。蒋を中心とする新右派は中国共産党の抑圧を図ったが、共産党が蒋に譲歩して北伐に同意した。また、すでに軍権を掌握した蒋介石は政権をも握ろうとして江西省南昌への遷都を図ったが、反蒋の左派と共産派はこれに抵抗し、1927年1月、湖北省武漢への遷都を強行した。そして、武漢国民政府の第二期三中全会で総司令職を廃して蒋介石を一軍事委員に格下げし、国民党と政府の大権を汪兆銘に託して蒋介石に対抗しようとした。
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