国民党による「法幣」発行とは? わかりやすく解説

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国民党による「法幣」発行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 07:11 UTC 版)

中華民国期の通貨の歴史」の記事における「国民党による「法幣」発行」の解説

1928年民国17年)、中国国民党北伐完成させ、南京統一政権打ち立てそれまで曖昧だった中央地方との財政的な権限整理し直し統一的な国民経済形成をめざす改革実行移していくことになる。経済再建のための全国経済会議財政会議開いてまとまった政策打ち出した。この過程で、上海中央銀行設立され銀行券発行始める。 詳細は「中華民国中央銀行#歴史」を参照 しかし翌1929年10月24日ニューヨーク市場の「暗黒の木曜日」をきっかけ大恐慌勃発し世界金本位制崩壊とともに国民党政府受け継いだ中国伝統銀本位制崩壊危機さらされた。それまで中国の通貨基本は銀で、紙幣中央銀行がなかったため民間商業銀行それぞれ独自に発行しており、そのため発行元銀行信用度によって額面流通価値変動するのが普通であった。 「銀本位制#中国」および「銀元#銀錠・銀両」も参照 大恐慌初期は、恐慌に伴う世界的な価格低下が、中国外国為替レート切り下げと同じ意味をもち、輸出促進働き中国プラス作用した。しかしイギリス金本位制離脱後、この恩恵は喪われ、1931年秋ごろから大恐慌深刻な影響中国にもあらわれた農産物はじめとする諸物価が下落し工場倒産商店閉鎖が相次ぎ、銀を本位とする複雑な通貨体制限界は誰の目にも明らかだった1934年にはアメリカの銀買い上げ政策による国際的な価格の高騰によって、好況呈していた上海経済転落決定的なものになる。銀価格の高騰のために今度中国国内から海外に銀が流出し上海資産価格落ち込みバブル崩壊する同時に繊維製品輸出落ち込み担保価値の下落により債務返済不能に陥る企業増加し金融機関破たんも相次ぎ上海中心とした深刻な金融恐慌発展したこのような不安定な状況終止符を打つためには、銀価格国際的な変動により国内金融政策大きく左右されるという状況改善しかなかった。 1933年民国22年)には、秤量単位である「銀両」が廃止され、銀本位通貨単位「元」統一されることにより(廃両改元)、「幣制改革以降管理通貨制度道筋つけられることになった1935年11月国民党財政責任者である宋子文宋慶齢孫文未亡人の弟、宋美齢蔣介石夫人の兄であり、彼女ら「宋家三姉妹」を含む宋一族一員である)は銀貨流通停止全国統一通貨である「法幣発行踏み切った現銀銀貨銀塊)の貨幣としての流通禁じて、「中国銀行」、「中央銀行」、「交通銀行」(現・兆豊国際商業銀行および交通銀行)と「中国農民銀行現・合金庫銀行)」の政府系4銀行発行する銀行券のみが法定通貨すなわち「法幣」と定められた。この通貨改革英米後押しをし、「法幣」の印刷英米担当した。とくに英国財政専門家リース・ロスを駐英国大使館経済顧問任命し改革実現協力した。「法幣」は、イギリス・ポンドリンクされており(1元=1シリング2.5ペンス)、同時に現銀アメリカ売り渡され、「法幣」の安定のための基金として積み立てられた。通貨統一全国的な経済政策進め上でも、近代国家体裁を整えるためにも必要なことであったが、この結果元はドルポンド支配下置かれることを意味するとともに中国庶民現銀というインフレから身を守るための手段を奪われることでもあった。 詳細は「法幣#発行」および「銀元#廃両改元」を参照中国銀行 (中華人民共和国)#沿革」も参照 この幣制改革に対しては、日本政府協力拒んだ日本1932年民国21年昭和7年)に「満州国」を成立させており、これと地続き華北地方国民党支配から切り離す北支分離工作」を展開していたので、国民党による中国通貨統一事業邪魔だったのである1935年9月上旬には、英国はリース・ロスと広田弘毅重光葵といった日本外務省側の人物会談をさせた。ここでリース・ロスは、「中国有力な銀行興し、これに通貨発行権独占させる通貨ポンドリンクして本位から離脱させる。その一方で中国は「満州国」を承認し、「満州国」は中国負債中の適当な割合分担する」という案を提示した。しかし、日本の外務省側はこの案に乗らなかった。 同年11月4日中国幣制改革断行し華北地域有する現銀南方国民政府のもとに送られることになった日本側はこの現銀の南送により華北経済自治的側面損なわれる考え日系6銀行手持ちの銀引渡し拒否することに決した。そこで、イギリス政府国王命令出して中国にあるイギリス人居住者に対して法幣改革への全面協力義務付け香港上海銀行HSBC)など英国銀行にも銀の引き渡し命令したアメリカは、1935年11月米中協定締結し中国回収した銀をアメリカ売却して米ドル英ポンドなど外貨による通貨安基金原資得た。ここに通貨面でのA(アメリカ)B(イギリス)C(中国連合成立した。 「ABCD包囲網#概要」も参照 一方で、この1935年という年は、中国共産党国民党軍追われ長征敢行中であり、「抗日救国」を全国民呼びかけた「八・一宣言」を発表し抗日世論全土広がっていた。このように中国史上で初めての管理通貨体制への移行は、短期間成功した。「法幣」が中華民国単一通貨となり、南京政府支配地域では「法幣が行きわたり、対外的安定した「元」基礎に、中国経済1936年に、農作物豊作相まって顕著な回復示した幣制改革の成功によって、中央政府統治力はかつてないほど強くなった。国民政府は、軍事的統一政治的統一加えて金融通貨統一にも成功した。 しかしこの時、すでに「満洲帝国」という名に変わってしまっていた東北地域については、「法幣」が通用することはなかった。この「国」では「日満経済ブロック」の掛け声のもと、国民政府幣制改革と時を同じくして、満州中央銀行発行する国幣」と呼ばれる通貨による「幣制改革が行われ、日本円との等価声明されていたのであった詳細は「満州中央銀行#概要」および「満州国圓#概要」を参照

※この「国民党による「法幣」発行」の解説は、「中華民国期の通貨の歴史」の解説の一部です。
「国民党による「法幣」発行」を含む「中華民国期の通貨の歴史」の記事については、「中華民国期の通貨の歴史」の概要を参照ください。

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