銀元
廃両改元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/05 07:40 UTC 版)
1928年に蒋介石率いる中国国民党による北伐が終了して一応の統一政府が成立したが、その後も中原大戦などの内紛が続いた。更に1932年には日本軍による第1次上海事変が追い討ちをかけたのである。当時の中国における金融・貿易の中心地であった上海が戦場になってしまった結果、銀元は暴落して国内の銀両とのバランス(洋厘)が悪化してしまった。だが、上海の中国人銀行家達はこれを逆手に取って通貨安定のために、秤量貨幣である銀両を廃止して銀元に統一することを提案したのである。これには銀錠を発行していた銭荘や彼らに融資先としてきた外国資本の銀行は強く反対した。だが、上海の銀行家らの財政支援を受けていた蒋介石政権は自らの政治的求心力の強化のためにもこれを推進する方針を打ち出した。 1933年3月国民政府は「廃両改元」を宣言し、4月6日をもって秤量貨幣である銀両は廃止され、計数貨幣である銀元に切り替えられることとなった。その準備として上海に国民政府中央造幣廠が建設され、銀本位幣鋳造条例によって銀本位制に基づく銀本位幣(1元=0.715両(26.7g)・品位880・純銀含有23.49gの俗称「孫文像幣」)が発行され、銀両との一定相場での交換が行われたのである。
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