辛亥革命から近代的制度へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:42 UTC 版)
「中国の貨幣制度史」の記事における「辛亥革命から近代的制度へ」の解説
「中華民国期の通貨の歴史」も参照 中国国民党の政治家である孫文は1913年に銭幣革命を提唱した。この思想は金本位制や管理通貨制度を含んでおり、蔣介石によって引き継がれた。辛亥革命で清が倒れ、1927年に成立した蔣介石の南京国民政府は、銭幣革命の思想にもとづいて中央銀行の設立、通貨発行権の集中、廃両改元を進めた。これにより秤量貨幣である銀両が廃止され、新たに1円銀貨として孫文像幣が発行された。南京国民政府は関税自主権を主張し、金融機関としては四行二局を設立した。これは中華民国中央銀行、中国銀行、交通銀行、中国農民銀行の四行と、郵政預金為替管理局、中央信託局(中国語版)の二局である。中央銀行の権限は(1)兌換券発行、(2)国幣の鋳造と発行、(3)国庫の経理、(4)内債・外債の募集と経理だった。南京政府は四行をはじめとして商業銀行にも介入して支配力を強めた。全国の164銀行に占める四行の資本総額は42パーセント、資産総額は59パーセントに及んだ。 南京国民政府は共産党軍や日本軍との戦闘によって軍事費が増えたため、税制改革を行って関税・塩税・統税(流通税)を定め、旧来の7000以上の租税項目を廃止した。内債・外債の整理も行い、33種類の内債を統一して14億6000万元の公債を発行した。浙江財閥系の銀行が公債を引き受けたが、財閥系銀行への依存を強める結果となった。
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