辛亥革命から孫文臨時大総統時期まで
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「臨時参議院」の記事における「辛亥革命から孫文臨時大総統時期まで」の解説
1911年(宣統3年)10月10日、武昌起義が勃発して辛亥革命が開始される。11月8日、黎元洪を都督とする革命派の湖北都督府(湖北軍政府)が成立した。湖北都督府の呼びかけで革命派の各省代表が漢口に集結し、30日、第1回の各省代表会議(議長:譚人鳳)が開催される。12月3日、臨時政府組織大綱が議決され、即日公布された。この組織大綱の第2章が臨時参議院について規定している。これに基づき、各省の革命派は参議院議員をそれぞれ選出した。 1912年(民国元年)元旦に、孫文(孫中山)を臨時大総統とする中華民国臨時政府が南京で成立した。各省で選出された参議院議員も南京に続々と集結し、1月28日、議員数が規定の過半数に達したとして臨時参議院の成立大会が開催された。議長に林森、副議長に王正廷が選出されている。 南北和平の機運が高まった2月13日に、臨時大総統孫文は臨時参議院に辞表を提出し、翌日、袁世凱を後任に推挙するよう臨時参議院で演説した。15日、臨時参議院は袁を臨時大総統に選出した。しかし首都について、孫が退位条件に示した南京維持説と、袁が主張する北京遷都説が対立し、臨時参議院でも両派に分かれて議論となる。結局3月6日に、臨時参議院は条件付きながらも、袁が北京で臨時大総統に就任すること(すなわち北京遷都)の許可を議決した。
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