辛丑換局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 13:43 UTC 版)
詳細は「辛丑換局」を参照 1721年に発生。辛壬士禍の一部である。延礽君(のちの英祖)による代理聴政(摂政)問題を契機に少論が老論から政権を奪った。 老論が世弟聴政を推進する過程で、景宗に不敬を行ったとして老論が批判を受けたことがきっかけである。1721年12月、少論の強硬派を中心に「老論による王権に対する挑戦で謀反である」との上訴が出され、老論4大臣以下老論の重臣たちの弾劾が始まった。そして老論政権が倒れ、少論政権が樹立された。これにより多くの老論が流刑となり、要職は少論が占めることになった。
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