国民党の結成
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「希望の党 (日本 2017)」の記事における「国民党の結成」の解説
2018年3月、読売新聞が民進党と希望の党の執行部が、合流した上での新党結成を模索していることを報道。これを受け、大串衆議院議員は「希望の党が解党する決断をすれば、立憲民主党や民進党も含めて合流しやすくなる」と述べ、将来的な野党再編のためには解党が必要であるとの認識を示した。また希望の党には、小池百合子前党代表・東京都知事のイメージが残ることも念頭に挙げ「小池さんのカラーを払拭する一番の方法は党自体を一旦なくし、自由に作り直すことだ」と発言。 なお、具体的な合流時期について民進党側は、「遅くとも統一地方選1年前の4月中、メーデーの前までには新しい党の形で戦うのがいい(増子輝彦民進党幹事長)」としている。 3月29日の産経新聞では、3月28日に民進党側が翌29日の幹部会合において希望との合併を提案する意向を固め、30日に開催される両院議員総会で了承を得た上で4月中の新党設立を目指すとしたことを報道。同日開かれた常任幹事会において、合併協議に入る方針を正式決定。これに関連して、玉木代表は、党内保守派と分党の上、新党への合流を進める考えを表明した。 ただ、党内からは民進党との合流に反対する議員も多く、上記のとおり分党する案もあるため、党が一枚岩となって合流するかどうかは不透明となっていた。 4月9日、玉木代表が民進党の大塚代表と会談し、当面は玉木・大塚の共同代表制とするなどの具体的な合流協議を再開した。4月26日に玉木代表と民進党の大塚代表が合流による新党「国民民主党」結成の合意書に署名した。同日、両院議員総会を開催し玉木代表ら新党参加組と松沢参議院議員団代表ら保守系メンバーの分党を決定。松沢・中山夫妻・行田・井上の5人は別の新党を結成して「希望の党」の名称を引き継ぐこととなった。なお、手続きとしては5月7日にまず「希望の党」を解党し、玉木ら新党合流組が「国民党」、松沢らが(新)「希望の党」をそれぞれ結党する形で分党し、このうち玉木らの「国民党」が翌8日に民進党に合流の上、民進党側が「国民民主党」へ党名を変更する方式を取ることとなった。 一方で「国民民主党」への不参加を表明する議員も相次ぎ、4月3日に細野、25日に長島、26日から27日にかけて笠、松原仁、田嶋要、井出庸生、寺田学、新党移行当日の5月7日には大串、樽床伸二、小川淳也が新党への不参加を表明、野党第1党を目指した「国民民主党」は衆参合わせて60人程度の規模にとどまり、現時点の野党第1党である立憲民主党を下回ることが確実な情勢となった。 5月7日、国民民主党の結党大会が行われ、同日、(旧)希望の党は東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣へ解散届を提出するとともに、同日付で政治団体「国民党」(代表:玉木雄一郎、会計責任者:岸本周平)の結成を届け出た。翌8日、(新)「希望の党」(代表:松沢成文、会計責任者:山崎邦子)の結成届と国民党は民進党と合併し国民民主党を結成するため、総務大臣へ解散届を提出。前日付で民進党が党名変更を届け出ていた国民民主党に吸収合併され、(新)希望の党の分党と国民民主党結成の手続きが完了した。なお、国民民主党発足当時の政党・会派の異動先は以下の表の通り(※は参議院議員)。 国民民主党(衆36)青山大人 浅野哲 泉健太 伊藤俊輔 稲富修二 今井雅人 大島敦 大西健介 岡本充功 奥野総一郎 小熊慎司 城井崇 岸本周平 吉良州司 源馬謙太郎 後藤祐一 小宮山泰子 近藤和也 斉木武志 階猛 下条みつ 白石洋一 関健一郎 玉木雄一郎 津村啓介 西岡秀子 古川元久 古本伸一郎 前原誠司 牧義夫 緑川貴士 森田俊和 山岡達丸 山井和則 柚木道義 渡辺周 (新)希望の党(衆2・参3)井上一徳 中山成彬 行田邦子※ 中山恭子※ 松沢成文※ 無所属(衆13)井出庸生 大串博志 小川淳也 柿沢未途 佐藤公治 田嶋要 樽床伸二 寺田学 長島昭久 細野豪志 松原仁 本村賢太郎 笠浩史
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