国民党のエリートとは? わかりやすく解説

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国民党のエリート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 01:36 UTC 版)

繆斌」の記事における「国民党のエリート」の解説

上海南洋大学電気科卒業後、1922年民国11年)に中国国民党加入する翌年黄埔軍官学校開校すると、同校教授部の電訊・政治教官として招聘された。1925年民国14年2月、軍校教導第1団党代表に任ぜられ、第1次東征参加している。同年4月、軍校内右派孫文主義学会発起人1人となった10月国民革命軍第1軍第2師党代表に任ぜられ、第2次東征従軍した1926年民国15年1月中国国民党第2期候補中央執行委員選出された(以後第3期第4期でも同様)同年7月蔣介石北伐開始宣誓すると、繆斌は総予備政治部主任第1軍党代表東路軍総指揮政治部主任軍需処処長の要職兼任することになっている翌年4月国民革命軍総司令部軍需局中将局長に昇進し10月には国民政府軍委員会経理処処長に任ぜられた。 1928年民国17年1月国民革命軍総司令部経理処処長にも任ぜられる。3月江蘇省政府委員に任ぜられ、11月には同省政府民政庁長兼ねた8月には、国民党5中全会中央執行委員補充選出されている。このほか同年には、国民党党務委員会委員中央民衆訓練委員会常務委員軍事委員海陸軍法規編纂委員会特別委員にも任ぜられた。同時期、国民政府立法院立法委員任命された。 しかし1931年民国20年)、汚職事件により弾劾され、各職を辞任して日本赴いている。ただしこの辞任については、日ごろから私淑していた胡漢民蔣介石により監禁されたことに反発してのもの、との説もある。帰国後の1933年民国22年)に『武徳論』という書物著し武力こそが道徳であり、軍人服従こそが天職である、との主張唱えた

※この「国民党のエリート」の解説は、「繆斌」の解説の一部です。
「国民党のエリート」を含む「繆斌」の記事については、「繆斌」の概要を参照ください。

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