国民党での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 08:19 UTC 版)
同年末に、褚民誼は帰国して、孫文率いる中国国民党で教育工作に従事する。広東大学教授、同代理校長、広東医学院院長を歴任した。1926年(民国15年)1月、国民党第2回全国代表大会で中央候補執行委員に選出され、まもなく執行委員に昇格した。以後、汪兆銘の腹心として党政活動に参加し、改組派と目された。この年の北伐では、総司令部軍医長として各省を回る。1928年(民国17年)、公衆衛生研究のため欧州に出張した。帰国後、国民衛生建設委員会委員長に任ぜられている。 1932年(民国21年)1月、蔣介石と和解した汪が行政院院長に就任すると、褚民誼は行政院秘書長に任命された。さらに1934年(民国23年)には、国民党新疆建設計画委員会主任委員も兼任している。しかし1935年(民国24年)11月に、汪が銃撃・負傷により辞任すると、褚も辞任し、上海の中法国立工学院院長等に異動した。
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