国民政府批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 00:20 UTC 版)
日中戦争(抗日戦争)勃発後の1939年(民国28年)に、馬寅初は重慶大学教授兼商学院院長に任ぜられた。その傍らで抗日を呼びかける様々な記事を執筆した。また、四大家族を初めとする大官たちの腐敗ぶりに怒りを覚え、彼らのような大官から「臨時財産税」を真っ先に取り立てるべきであるなどと、公然と非難している。中国国民党への痛烈な非難を続ける馬に対し、ついに当局は1941年(民国30年)12月に逮捕、貴州や江西で拘禁する挙に出た。しかし、このことが発覚してかえって国民党への世論の批判が高まり、翌年8月に当局は馬の釈放を余儀なくされている。それでも馬は当局の監視下に置かれ、事実上言論活動を行えなくなったが、この間にも『経済学概論』、『通貨新論』などの専門著書を刊行した。 1944年(民国33年)12月、国民参政会の宣言により、馬寅初はようやく言論活動の自由を得た。以後、反蔣介石、反国民党の傾向を益々強めていく。1946年(民国35年)7月、中華職業教育社の黄炎培の招聘に応じ、中華工商専科学校経済学教授に就任した。1948年(民国37年)末、馬は国民党の弾圧から逃れ、中国共産党の庇護により華北解放区に移っている。
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