国民政府中央での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 04:35 UTC 版)
同年10月、張維翰は立法院立法委員に任命され、翌1932年(民国21年)5月には立法院秘書長を兼ねた(1933年1月まで)。1939年(民国28年)6月、前月に内政部長に抜擢された雲南派元老・周鍾嶽により、張維翰は内政部政務次長に起用されている。1944年(民国33年)11月に部長が張厲生となっても、張維翰はそのまま政務次長に留任した。 1946年(民国35年)1月、張維翰は監察院雲貴監察区監察使に異動する。翌年には行憲国民大会代表にも選出された。1949年(民国38年)4月、監察院監察区の改組に伴い、川康区監察委員行署委員に転じたが、実際には就任していない。その後まもなく、張は香港に逃れ、しばらくは教員などを務めた。
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