国民政府の領有と台北遷都とは? わかりやすく解説

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国民政府の領有と台北遷都(1945~1949年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 01:15 UTC 版)

中台関係」の記事における「国民政府の領有と台北遷都(19451949年)」の解説

国共内戦」も参照 ポツダム宣言調印され1945年9月2日連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は指令第1号において台湾日本軍に対して中華民国国軍蔣介石軍事委員長への投降命じた蔣介石は、すでにその1日前9月1日)、「台湾行政長官公署」と「台湾警備総司令部」を設置し陳儀陸軍大将初代台湾行政長官台湾警備総司令官任命していた。同年10月17日国民政府国民党軍国民革命軍)と官吏あわせて1万人以上が米軍全面的支援受けて基隆港から上陸台湾領有開始した10月25日には、上海から到着したばかりの陳儀初代行政長官安藤利吉台湾総督台湾軍司令官との間で降伏文書調印が行われた(台湾光復)。この日は現在も「光復節」として台湾中華民国)の休暇伴わない記念日となっている。 台湾光復後まもなく、中国大陸では蔣介石率い中国国民党毛沢東率い中国共産党との国共内戦本格化し、台湾では著し物資不足と激しインフレーション襲った1946年3月には早くも長官公署無能腐敗糾弾する人民自由防衛委員会」が発足している。そして、1947年2月28日台湾住民官憲衝突きっかけ台北市戒厳令がしかれ、国民党軍官憲による住民弾圧粛清が行われた(二・二八事件)。この事件により知識人中心にわずか2週間余りの間に少なくとも約2万8千人殺害され今日に至る「本省人」と「外省人」の深い溝を作った米国抗議を受け、蔣介石陳儀免職とし、台湾行政長官公署廃止して台湾省政府設置し魏道明初代政府主席任命した1948年末には、蔣介石腹心である陳誠第2代政府主席台湾警備総司令官に、長男である蔣経国中国国民党台湾省委員会主任委員任命した1949年5月20日台湾全土戒厳令布告された(この戒厳令は、蔣経国政権末期1987年7月にようやく解除された)。 1949年4月23日中華民国の首都南京陥落すると、まもなく毛沢東率い中国共産党中国大陸をほぼ掌握し10月1日中華人民共和国の建国宣言国民党政権12月8日台北遷都決定した蔣介石台湾退却後も「中華民国こそが中国正統政権」と主張し台湾を「大陸反攻」の拠点位置づけたのに対し中国大陸中華人民共和国政府は「台湾解放」を掲げた。こうして、中華人民共和国中華民国が、それぞれ中国大陸台湾支配統治しつつ、互いに国家としての存在否定し軍事的に対峙する両岸関係」の歴史始まった

※この「国民政府の領有と台北遷都(1945~1949年)」の解説は、「中台関係」の解説の一部です。
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