国民政府の前史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:05 UTC 版)
国民政府(こくみんせいふ)とは、中華民国の憲政移行前の大陸統治時代における中国国民党による政府のことである。略称は国府(こくふ)。元首は主席(しゅせき)。 1925年に中国国民党によって、汪兆銘を主席とする広州国民政府が樹立された。当時は第一次国共合作を行っており、1926年に蔣介石が国民革命軍総司令官となり、北伐を行い、軍閥政権との戦いを続けた。だが、反共的な蔣介石は中国共産党への抑圧を行ったため、蔣介石と汪兆銘、反蔣介石派との対立が激化した。 1927年1月、反蔣介石派が武漢への遷都を強行し、武漢国民政府が成立した。一方、蔣介石は同年4月に上海クーデターを起こし、南京に南京国民政府を樹立した。こうして国民政府は分裂し、国共合作は崩壊し、国共内戦へ突入する。だが、蔣介石は武漢国民政府を倒して国民政府を統一し、また、1928年6月には軍閥政府の根拠地である北京を陥落させ、12月には北伐を完了させた。蔣介石は同年、国民政府主席に就任した。 しかし、反蔣介石派は1931年に広州に独自の国民政府を樹立したため、再び国民政府は分裂する。だが、満州事変を契機に和解の機運が高まり、1932年に南京国民政府に再統一される。蔣介石は主席の地位を林森に譲って自らは軍事委員長に転じ、汪兆銘を行政院長に擁立するが、実権は蔣介石が握っていた。 1937年に日中戦争が始まると、国共内戦を休戦し、第二次国共合作を行い、日本を相手に戦った。12月に南京は陥落し、南京国民政府は武漢を経て重慶に遷都した。 詳細は「重慶陪都時期(中国語版)」を参照 1945年の終戦後、南京国民政府は1946年に召集した制憲国民大会で中華民国憲法を制定し、翌1947年に公布・施行した。これにより、孫文の国民政府建国大綱における訓政期間を終了し、憲政に移行したことを示すため、1948年の政府組織再編後の南京国民政府のことを中国では、中華民国政府と呼称している。。 しかし、憲政実施後まもなく国共内戦が激化したため、動員戡乱時期臨時条款の制定によって長期にわたる戒厳時期に突入、立法機関の国民大会・立法院の改選も止まり、中国国民党による党と政府が一体化した事実上の一党独裁制を敷いて戦時体制に移行したものの、国共内戦は中国人民解放軍(中国共産党軍)の攻勢によって中華民国政府は大陸の支配権を喪失して台湾に移転し、中国大陸では中国共産党による中華人民共和国が成立した。
※この「国民政府の前史」の解説は、「台湾国民政府」の解説の一部です。
「国民政府の前史」を含む「台湾国民政府」の記事については、「台湾国民政府」の概要を参照ください。
- 国民政府の前史のページへのリンク