国民政府との対峙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 01:33 UTC 版)
1933年、陳は、僑務委員会を通じて親交を深めた蔡廷鍇の福建第19路軍(軍長・蔡)と福建人民革命政権(主席・李済深)のために福建省債の購入運動を推進し、国民政府に批判的な郷土の革新勢力を支援した。 1940年2月には、NCRGAが援蔣ルートの物資輸送と公路補修のために派遣した奉仕団が国民政府官僚の酷使に耐えられず相次いで脱走していたことから、要員43名の派遣を中止した。 1940年3月、NCRGAの祖国慰問団に参加。重慶で国民政府官僚の汚職・腐敗や献金が使途不明となっている実態を知って失望し、その後訪れた延安で、共産党の厳正な規律を賞賛し、同地で抗日宣伝工作をつづけていたアモイ大学の学生たちを激励した、とされる。
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