国民政府から離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 19:26 UTC 版)
日中戦争終結後は、鄧錫侯が川軍指揮官内のリーダー格と目されるようになる。1946年(民国35年)には、張群の代理として四川省政府主席となる。翌年に正式に同職に就いた。しかし、国共内戦を進める蒋介石から兵糧供給等の後方支援を要求されるようになる。戦時中における四川の資源消耗もあって、鄧は次第に不満を抱き、蒋と対立するようになった。1948年(民国37年)3月には、鄧は省政府主席を辞職してしまった。 その後鄧錫侯は、劉文輝、潘文華らと連合して反蒋介石活動を開始する。ついに1949年(民国38年)12月9日に、中国共産党への起義を宣言した。中華人民共和国では、西南軍政委員会副主席、四川省副省長、国防委員会委員、全国人民代表大会代表、中国国民党革命委員会(民革)中央委員などを歴任した。 1964年3月30日、成都で死去。享年76(満74歳)。
※この「国民政府から離脱」の解説は、「トウ錫侯」の解説の一部です。
「国民政府から離脱」を含む「トウ錫侯」の記事については、「トウ錫侯」の概要を参照ください。
- 国民政府から離脱のページへのリンク