国民政府への寝返り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:26 UTC 版)
1942年、独ソ戦でのソ連側の戦況悪化を見た盛世才は、ソ連に見切りをつけ、国民政府に寝返ることを決意した。盛世才は、8月に起きた実弟盛世騏の暗殺事件を、中国共産党によるものと断定して共産党要員を逮捕し、国民政府への忠誠を表明した。1943年には、陳潭秋、毛沢民、林基路ら中国共産党員が処刑された。これに対し、国民政府は、新疆に軍を派遣し、省政府の接収を図った。1944年、国民政府の圧力に屈した盛世才は、重慶の国民政府の農林部長に任命される名目で、新疆を離れることを余儀なくされ、「新疆王」による10年間の統治は幕を閉じた。後任には、国民党から派遣された呉忠信が就任した。
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