国民政府以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 14:45 UTC 版)
北京政府崩壊後の1929年(民国18年)、葉恭綽は、朱啓鈐とともに中国営造学社を組織した。1931年(民国20年)、孫科が行政院長に任じられた際に、葉は国民政府鉄道部長に任じられた。しかし、孫科とともに短期間で辞任している。 これ以降は、文物保護活動に主に従事し、国学館館長や全国経済委員会委員などを歴任している。1939年(民国28年)には、香港で中国文化協進会の発起人となり、広東省の文物情報の整理に貢献した。香港が日本軍に占領された際には、一時、その監視下に置かれたが、引き続き、主に香港に留まっている。 中華人民共和国成立後の1950年、大陸に戻り、翌年には中央人民政府政務院文教委員会委員に任じられた。以後、中国人民政治協商会議全国委員会委員、同常務委員などを歴任した。また1954年には、中国文字改革委員会常務委員として、「常用字分類簡化表」の作成に参与する。1956年には、中央普通話普及工作委員会委員として「漢語拼音方案」の作成に関わった。他方で、文物収集家としての活動も続け、回顧録等も残している。 1968年8月6日、北京にて病没。享年88(満86歳)。
※この「国民政府以後」の解説は、「葉恭綽」の解説の一部です。
「国民政府以後」を含む「葉恭綽」の記事については、「葉恭綽」の概要を参照ください。
- 国民政府以後のページへのリンク