国民政府時期(1927年 - 1949年)
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ソビエト連邦の支援を受けて改組された中国国民党は、1924年に開催した「国民党一回大会」で「中国国内の各民族の自決権を承認」していたこともあり、同党が北伐を成功させて樹立した国民政府では、モンゴル人民共和国領の統治を職掌とするような名目的・形式的ポストは設置されなかった。 国民政府の統治下に入った南モンゴル(内蒙古)では、1928年、3つの特別区に省制が施行された。 熱河特別区 → 熱河省 察哈爾特別区 → 察哈爾省 綏遠特別区 → 綏遠省 南モンゴルのモンゴル人は引き続き清朝・北京政府以来の盟旗制により組織されており、各省による「内地化」に抵抗、モンゴル人によるモンゴル統治を目指す「自治運動」を展開した。これに応じて国民党は1934年「蒙古自治方案」を通達することを決議、南モンゴルの自治運動のリーダーたちをトップに据え、南モンゴルの盟旗を横断的に組織した蒙古地方自治政努委員会、蒙古地方自治指導長官公署等が設置された。 1936年、南モンゴル人は、国民政府の支配から離脱した蒙古軍司令部(同年蒙古軍政府に改組)を樹立、1937年の日中戦争の勃発に伴い、日本の支援を受けつつ、蒙古聯盟自治政府を組織、その後各種改組を経て蒙古自治邦(1941年 - 1945年)が成立した。熱河以東の東部内蒙古は満洲国に組み込まれ、またアルシャー盟は国民政府の支配下にあったため、この「自治邦」の管轄領域は内蒙古の一部を占めるに過ぎなかった。
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国民政府時期
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1927年(民国16年)5月、ついに呉は下野に追い込まれ四川省へ逃走、同地の有力軍人である楊森の庇護を受けた。 その後も呉佩孚は中原大戦の機会など何度か再起を図ったが、いずれも失敗に終わっている。1932年(民国21年)1月からは北平に寓居し、張学良の庇護を受けた。
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