国民政府期の活動
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1927年(民国16年)、広西省政府主席黄紹竑の招聘を受けて広西省に戻る。馬君武は梧州で広西大学を創設した。その後、中国公学校長、広西大学校長をつとめる。新広西派・西南派の一員として、西南政務委員会常務委員、広西省政府委員、広西修志局総纂なども歴任した。広西大学校長としては、研究機関の拡充、教育水準の向上に努め、成果もあげた。 しかし1936年(民国25年)、学生に軍事訓練を施す方針が含まれていた、李宗仁・白崇禧などが推進する「三自三寓」政策に反対したため、馬君武は校長から罷免されてしまう。それでも日中戦争(抗日戦争)勃発後は、最高国防会議参議・広西省政府高等顧問として復帰した。1939年(民国28年)、国立に改組された広西大学校長にも返り咲いている。 1940年(民国29年)8月1日、胃病がもとで桂林にて病没。享年60(満59歳)。
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