国民政府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 03:45 UTC 版)
1926年(民国15年)12月、北伐の進展を見た劉湘が国民政府に易幟し、国民革命軍第21軍軍長に任ぜられると、王陵基は同軍第3師師長兼重慶衛戍司令となった。翌年、四川省内で南京事件に対する列強の対応に反発する民衆デモが重慶で勃発すると、王はこれを武力で鎮圧し、デモを主導していた中国共産党を粛清している。また、重慶に軍官学校を創設し、副校長(校長は劉湘)として実際の校務を担当した。 1931年(民国20年)、劉湘の命により王陵基は長江上遊剿匪総指揮代理として、湖北省の中国共産党(紅軍)根拠地討伐に従事している。四川に戻った後の1933年(民国22年)7月、四川剿匪総司令に任命された劉の下で第5路総指揮となり、長征中の紅軍を迎撃したが、他の路軍との連携を欠いて紅軍の突破を許すなど失敗が相次ぎ、同年末には罷免されてしまう。その後2年間は上海に閑居してしまうが、1936年(民国25年)春にようやく劉に呼び戻され、四川省保安司令部保警処長兼保安司令代理に任ぜられた。 日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、1938年(民国27年)に王陵基は第30集団軍総司令兼第72軍軍長に任ぜられ前線に赴いた。南潯会戦、長沙会戦、南昌会戦などに参戦している。1939年(民国28年)6月、第9戦区副司令長官兼第30集団軍総司令に任ぜられ、江西省修水県に駐屯した。戦争期間中を通して共産党への敵意を解かず自軍内部の粛清に努めたが、日本軍との衝突は可能な限り避けたとされる。1943年(民国32年)春、陸軍上将銜を授与され、1945年(民国34年)春には中国国民党第6期中央執行委員に選出された。
※この「国民政府時代」の解説は、「王陵基」の解説の一部です。
「国民政府時代」を含む「王陵基」の記事については、「王陵基」の概要を参照ください。
- 国民政府時代のページへのリンク