長沙会戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:52 UTC 版)
武漢会戦終結後、薛岳は第9戦区司令長官に昇進し、1939年(民国28年)2月には湖南省政府主席兼中国国民党省党部主任も兼任した。薛は同年9月、1941年(民国30年)9月及び12月の3度の長沙会戦で日本軍を湖南省から撃退することに成功している。これは、「安・便・足」の三字施政方針と「生・養・教・衛・管・用」の「六政」建設に象徴される一連の省内施策が功を奏したことが大きかった。 1944年(民国33年)5月、第4次長沙会戦でも薛岳は日本軍を迎撃したが、今度はこれを撃退することができず、6月19日に長沙を失陥し、8月8日には衡陽も喪失した。薛は残軍を湘贛粤辺区に撤退させ、抗戦を継続している。日中戦争(抗日戦争)終結後は、南昌で受降司令官をつとめた。
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