刎頸の交わりとは? わかりやすく解説

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ふんけい‐の‐まじわり〔‐まじはり〕【××頸の交わり】

読み方:ふんけいのまじわり

《「史記藺相如伝から》その友のためなら、たとえ首を切られても悔いないくらいの親し交際

「刎頸の交わり」に似た言葉

刎頸の交わり

作者藤本

収載図書島の贈物作品集
出版社クレ書店
刊行年月2007.11


刎頸の交わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 14:34 UTC 版)

刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)は、中国戦国時代で活躍した、藺相如廉頗が残した故事。刎頸の友ともいう。『史記』原文には「刎頸(之)交」とある。刎頸とは「頸(くび)を刎(は)ねる」、即ち斬首のことで、「お互いに首を斬られても後悔しないような仲」という成語として用いられる。


  1. ^ 太平御覧』巻四百九・人事部五十・交友四に引く孫楚『牽招碑』。
  2. ^ 1978年(昭和53年)7月5日、ロッキード裁判丸紅ルート第51回公判。このとき小佐野は検察側証人として出廷し、検察官から「田中さんとは“刎頸の友”といわれていますが、そういう間柄ですか?」と質問されて「私は“刎頸の友”といったそんな……自分でいった覚えはないのですが……」と発言している。立花隆 『ロッキード裁判とその時代』 2巻 朝日新聞社朝日文庫〉、1994年4月1日、40頁。ISBN 4-02-261009-3 
  3. ^ 第71回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第11号” (1973年4月26日). 2021年9月6日閲覧。
  4. ^ 立花隆 「「田中角栄独占インタビュー」全批判」 『文藝春秋』 59巻3号、126頁、1981年3月。 のち立花隆『巨悪vs言論』文藝春秋、1993年、に収録。


「刎頸の交わり」の続きの解説一覧

刎頸の交わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:45 UTC 版)

廉頗」の記事における「刎頸の交わり」の解説

「刎頸の交わり」も参照史記によれば当初、趙の総大将として、武功によって数々功績得た自分対し口先だけの働き手柄挙げ、位も自身より上回っている相如との仲は、極めて険悪で、だれかれ構わず己の不満を口にした。その噂を耳にした藺相如は、それ以来、病と称し外出をやめた。 それから何日経ったある日家臣薦めで、相如は馬車散歩に出かけた。その道中で前方廉頗の姿を見つけた相如があえて道を変え廉頗通り過ぎるのをまってから引き返す、といった事件起こったその夜、この振る舞い見た家臣たちは一堂会し、「相如様の匹夫の様な振る舞い。さらにそれを恥じない相如様の態度には我慢いきません」といい、辞職申し出た。すると相如は、「強大な秦国が何故わが国滅ぼそうとしない解るか?それは、私と廉頗将軍がいるからだ。今、廉頗将軍との間に亀裂生じればそれこそ秦の思う壺。私があのような行いをするのは国家のためなのだ」と家臣諭した。 この話はたちまち宮中広まり廉頗上半身裸の姿で相如を訪ね自分不徳愚かさ恥じ、「この愚か者はあなたの大きな考え知らず無礼をしてしまった。この(いばら)の鞭でこの身をお打ちあれ」と手にしていた鞭を差し出した。相如は、「何を仰せられます、将軍あってこその趙の国です」といった。廉頗心から心服し、「あなたのためならば、たとえこの頸(くび)を刎ねられても悔いござらぬ」といい、また相如も「私も将軍のためならば、喜んでこの頸を差し出しましょう」といった。「刎頸の交わり」、「刎頸の友」という言葉ここから生まれた

※この「刎頸の交わり」の解説は、「廉頗」の解説の一部です。
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刎頸の交わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:08 UTC 版)

陳余」の記事における「刎頸の交わり」の解説

陳余父と共に魏に仕え儒教通じ、趙に遊学していた。そこで趙の富豪仲良くなり、その娘と結婚して財を得たその頃から張耳深く交流し、かつての藺相如廉頗倣ってお互いに首を斬られても良いという刎頸の交わりを結んだ

※この「刎頸の交わり」の解説は、「陳余」の解説の一部です。
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刎頸の交わり

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 06:34 UTC 版)

成句

刎頸ふんけいまじわり

  1. 生死を共にして、その友のためならくびねられても悔いの無いほどの友情[1]

関連語

関連語

出典

司馬遷史記巻八十一廉頗藺相如列伝第二十一

白文
既罷歸國、以相如功大、拜為上卿、位在廉頗之右。廉頗曰、「我為趙將、有攻城野戰大功、而藺相如徒以口舌為勞、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下」。宣言曰、「我見相如、必辱之」。
如聞、不肯與會。相如每朝時、常稱病、不欲與廉頗爭列。已而相如出、望見廉頗、相如引車避匿。於是舍人相與諫曰、「臣所以親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君與廉頗同列、廉君宣惡言而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、况於將相乎。臣等不肖、請辭去」。
藺相如固止之曰、「公之視廉將軍孰與秦王」。曰「不若也」。相如曰、「夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其羣臣、相如雖駑、獨畏廉將軍哉。顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎共鬬、其勢不俱生。吾所以為此者、以先國家之急而後私讎也」。
廉頗聞之、肉袒負荊、因賓客藺相如謝罪。曰、「鄙賤之人、不知將軍寬之至此也」。卒相與驩、為刎頸之交
訓読文
既にまかりて帰国するや、相如の大なるを以て拝して上卿為し廉頗の右に在り廉頗曰く、「我趙の為り攻城野戦大功有り而るに藺相如口舌を以て為し而も位は我が上に居る。且つ相如はもとの人なり。吾羞ぢて、之が下と為る忍びず」と。宣言して曰く、「吾相如を見ば必ず之を辱めむ」と。
如聞き、与に会するを肯ぜず。相如朝する毎に常に病と称し廉頗を争ふことを欲せず已にして相如出でて、廉頗望見すれば、相如を引きて避け匿る。是に於いて舎人相与に諫め曰く、「親戚去り君につかふる所以の者は、だ君の高義を慕へばなり。今、君廉君と列同じくす。廉君悪言宣ぶるに、君畏れて之より匿れ、恐懼すること殊に甚だし且つ庸人すら尚之を羞づ、況むや将相に於いてをや。臣等不肖なり。請ふ辞して去らむ」と。
藺相如固く之を止めて曰く、「公の廉将軍視ること、秦王に孰与いづれぞ」と。曰く、「若かざるなり」と。相如曰く、「夫れ秦王を以てするも、相如之を廷叱し、其の群臣辱む。相如駑なりと雖も独り将軍畏れむや。顧みて吾之をおもふに、強秦の敢へてを趙に加へざる所以は、徒だ吾が両人在るを以てなり。今両虎共に闘はば、其の勢ひ倶に生きざらむ。吾の此を為す所以は、国家を先」にして、私讐後にするを以てなり」と。
廉頗之を聞き肉袒して負ひ賓客に因りて藺相如至り謝罪して曰く鄙賤の人、将軍寛なることの此に至れるを知らざるなり」と。つひに相与によろこび、刎頸の交はり為す
現代語訳
秦王との会見終えた趙王藺相如が)立ち去って帰国すると、(会見首尾良く終えることができたのは)藺相如功績大きいとして、藺相如上卿任じられ、その地位廉頗よりも上位になった廉頗言った、「私は趙の将軍として城攻め野戦大きな功績挙げた。しかし相如はただ口先だけによって働きそれでいて私より上の位にいる。それに相如は元々(宦官近侍という)賤しい身分の人である。私は恥ずかしい。奴の下に立つのは耐えられない」。また、「相如に会ったら、必ずや奴を辱めてやる」と言い触らした。
相如はこれを聞き廉頗会わないようにした。相如は朝参するたびに、いつも病気称して廉頗朝廷での席次を争うことを望まなかった。また、相如が外出した折に廉頗遠く見れば、車を引き返し避け隠れた。このため家来たちは共に相如を諫め言った。「私共親戚の元を去って貴方様に仕えしているのは、ひとえに貴方様の徳の高さをお慕いしたからです。今や貴方様は廉様と同列となりました。廉様が貴方様への悪口言っているからといって貴方様殊更にあの方から隠れ怖れ畏まっておいでです。凡人でさえ恥ずかしく思います。まして(貴方様のような将軍大臣なら尚更ではありませんか私共は(恥辱耐え忍ぶことのできない未熟ですので、おいとまを頂くことをお許し下さい」。
藺相如家来強く引き止めて言った、「君たちは、廉将軍秦王とではどちらが上だと思うか」。家来答えた、「(廉将軍秦王には)及びません」。相如は言った、「そもそも秦王威勢前にしてさえ、私こと相如は秦王宮廷叱り付け、その臣下らを辱めた。私は非才であるかもしれないが、だからといって将軍ごときを恐れるものか。考えてみるに、強国である秦が趙に出兵しないのは、我々二人が趙にいるからに他ならない。仮に今、二頭の虎(のように優れた人材である我々)が互いに闘うようなことがあれば、双方が共に生き延びるということはあるまい。私がこうしているのは、国家危急優先して、私的恨み後回しにしているからである」。
廉頗はこれを聞き肩脱ぎしていばらの鞭を背負い賓客介添えにして藺相如屋敷門前行き謝罪して言った、「私は性根賤しい人間でした。将軍これほどまでに寛大であるとは存じませんでした」と。とうとう二人互いに喜び刎頸の交わりをなした。

刎頚の交わり

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 06:34 UTC 版)

成句

刎頸ふんけいまじわり

  1. 生死を共にして、その友のためならくびねられても悔いの無いほどの友情[1]

関連語

関連語

出典

司馬遷史記巻八十一廉頗藺相如列伝第二十一

白文
既罷歸國、以相如功大、拜為上卿、位在廉頗之右。廉頗曰、「我為趙將、有攻城野戰大功、而藺相如徒以口舌為勞、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下」。宣言曰、「我見相如、必辱之」。
如聞、不肯與會。相如每朝時、常稱病、不欲與廉頗爭列。已而相如出、望見廉頗、相如引車避匿。於是舍人相與諫曰、「臣所以親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君與廉頗同列、廉君宣惡言而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、况於將相乎。臣等不肖、請辭去」。
藺相如固止之曰、「公之視廉將軍孰與秦王」。曰「不若也」。相如曰、「夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其羣臣、相如雖駑、獨畏廉將軍哉。顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎共鬬、其勢不俱生。吾所以為此者、以先國家之急而後私讎也」。
廉頗聞之、肉袒負荊、因賓客藺相如謝罪。曰、「鄙賤之人、不知將軍寬之至此也」。卒相與驩、為刎頸之交
訓読文
既にまかりて帰国するや、相如の大なるを以て拝して上卿為し廉頗の右に在り廉頗曰く、「我趙の為り攻城野戦大功有り而るに藺相如口舌を以て為し而も位は我が上に居る。且つ相如はもとの人なり。吾羞ぢて、之が下と為る忍びず」と。宣言して曰く、「吾相如を見ば必ず之を辱めむ」と。
如聞き、与に会するを肯ぜず。相如朝する毎に常に病と称し廉頗を争ふことを欲せず已にして相如出でて、廉頗望見すれば、相如を引きて避け匿る。是に於いて舎人相与に諫め曰く、「親戚去り君につかふる所以の者は、だ君の高義を慕へばなり。今、君廉君と列同じくす。廉君悪言宣ぶるに、君畏れて之より匿れ、恐懼すること殊に甚だし且つ庸人すら尚之を羞づ、況むや将相に於いてをや。臣等不肖なり。請ふ辞して去らむ」と。
藺相如固く之を止めて曰く、「公の廉将軍視ること、秦王に孰与いづれぞ」と。曰く、「若かざるなり」と。相如曰く、「夫れ秦王を以てするも、相如之を廷叱し、其の群臣辱む。相如駑なりと雖も独り将軍畏れむや。顧みて吾之をおもふに、強秦の敢へてを趙に加へざる所以は、徒だ吾が両人在るを以てなり。今両虎共に闘はば、其の勢ひ倶に生きざらむ。吾の此を為す所以は、国家を先」にして、私讐後にするを以てなり」と。
廉頗之を聞き肉袒して負ひ賓客に因りて藺相如至り謝罪して曰く鄙賤の人、将軍寛なることの此に至れるを知らざるなり」と。つひに相与によろこび、刎頸の交はり為す
現代語訳
秦王との会見終えた趙王藺相如が)立ち去って帰国すると、(会見首尾良く終えることができたのは)藺相如功績大きいとして、藺相如上卿任じられ、その地位廉頗よりも上位になった廉頗言った、「私は趙の将軍として城攻め野戦大きな功績挙げた。しかし相如はただ口先だけによって働きそれでいて私より上の位にいる。それに相如は元々(宦官近侍という)賤しい身分の人である。私は恥ずかしい。奴の下に立つのは耐えられない」。また、「相如に会ったら、必ずや奴を辱めてやる」と言い触らした。
相如はこれを聞き廉頗会わないようにした。相如は朝参するたびに、いつも病気称して廉頗朝廷での席次を争うことを望まなかった。また、相如が外出した折に廉頗遠く見れば、車を引き返し避け隠れた。このため家来たちは共に相如を諫め言った。「私共親戚の元を去って貴方様に仕えしているのは、ひとえに貴方様の徳の高さをお慕いしたからです。今や貴方様は廉様と同列となりました。廉様が貴方様への悪口言っているからといって貴方様殊更にあの方から隠れ怖れ畏まっておいでです。凡人でさえ恥ずかしく思います。まして(貴方様のような将軍大臣なら尚更ではありませんか私共は(恥辱耐え忍ぶことのできない未熟ですので、おいとまを頂くことをお許し下さい」。
藺相如家来強く引き止めて言った、「君たちは、廉将軍秦王とではどちらが上だと思うか」。家来答えた、「(廉将軍秦王には)及びません」。相如は言った、「そもそも秦王威勢前にしてさえ、私こと相如は秦王宮廷叱り付け、その臣下らを辱めた。私は非才であるかもしれないが、だからといって将軍ごときを恐れるものか。考えてみるに、強国である秦が趙に出兵しないのは、我々二人が趙にいるからに他ならない。仮に今、二頭の虎(のように優れた人材である我々)が互いに闘うようなことがあれば、双方が共に生き延びるということはあるまい。私がこうしているのは、国家危急優先して、私的恨み後回しにしているからである」。
廉頗はこれを聞き肩脱ぎしていばらの鞭を背負い賓客介添えにして藺相如屋敷門前行き謝罪して言った、「私は性根賤しい人間でした。将軍これほどまでに寛大であるとは存じませんでした」と。とうとう二人互いに喜び刎頸の交わりをなした。

「刎頸の交わり」の例文・使い方・用例・文例

  • 刎頸の交わり
  • 刎頸の交わりを結ぶ
  • 刎頸の交わり、断金交わり
  • 刎頸の交わりを誓う
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