刎頸の友との決別とは? わかりやすく解説

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刎頸の友との決別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:48 UTC 版)

張耳」の記事における「刎頸の友との決別」の解説

平定後、武臣陳勝に秦攻略命じられたが、武臣渋々認められたと解っていたので、地盤固めとして配下将軍を代・燕など各地攻略へ向かわせ、更に領地広げようとしていた。その中の元秦軍李良将軍が、秦軍苦戦したので、兵の増員武臣願おうと趙都邯鄲戻っていた。その途中で武臣の姉の行列出会い平伏したが、酒に酔っていた彼女は李良と解らず礼を失してしまった。これに激怒した李良とその部下達武臣の姉ら一行殺害しそのまま邯鄲入り武臣左丞相邵騒討ち取った張耳陳余間一髪脱出し、かつての趙の公子であった趙歇王として擁立賢人勧め信都を都とした。これを聞いた李良信都攻めたが、陳余撃退され秦の章邯の下へ逃亡した章邯直ち王離信都へ向かわせ、自身邯鄲住民強制的に移住させ、城郭破壊した堅城である邯鄲瓦礫化し王離来たるとの情報に、張耳趙王と共に鉅鹿籠城し、陳余恒山行って兵を集めることにした。 章邯糧道断たれ飢え始めた鉅鹿張耳待った。やがて陳余援軍がやって来たが、秦の大軍見て容易に手が出せいとして見守るけだった。これは共に援軍赴いた張耳次男張敖も同様であった一向に攻めない援軍激怒した張耳は、陳余元へ自分親族の張黶と陳余親族の陳澤を使者送り刎頸の交わり交わした間柄なのに、なぜ数万の軍を擁しながら援軍送らないのか?共に戦って死のうではないか」という手紙渡した。それでも陳余は「ここで死んでは秦が得するだけで、趙のためにはならない」として動かなかった。張黶と陳澤は「ともに死んで趙王張耳への)信用立ててください後のことなど気にすることはない」と食い下がりやむを得ず陳余は彼らに5千の兵を与えた。張黶と陳澤は援軍向かったが、秦の大軍に全く歯が立たず両名とも戦死し軍勢全滅した。これを見た援軍は更に動かなくなった。そうしてしばらく経ち落城時間の問題となった頃に項羽軍来援して秦軍撃退した戦いの後陳余鉅鹿入城した際、張耳趙王助けなかったことを責め、張黶と陳澤の所在訊ねた陳余は「彼らはどうしても私に戦死しろと迫った。それで兵を与えて援軍差し向けたが、秦軍敗れて全滅したようだ」と言った張耳信用せず陳余が彼らを殺したのだと思いなおも責めたため、陳余激怒してそこまで疑うのならば辞職すると言い将軍印綬押し付けると、便所行ってしまった。張耳もはじめは印を受け取ろうとしなかったが、食客勧めに従って自ら将軍兼ねることにした。便所から帰った陳余辞退しない張耳恨んでそのまま数百部下と共に黄河沼沢去り漁師として生活した

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刎頸の友との決別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:08 UTC 版)

陳余」の記事における「刎頸の友との決別」の解説

趙王となった武臣領土拡大狙い秦の諸城攻めていた。その指揮官一人李良将軍援軍申し入れようと邯鄲戻っていた。そこで武臣の姉の一行出会ったので平服したが、武臣の姉は酒宴帰りで酒に酔っていて礼を欠いた行動取り李良激怒邯鄲に戻る前に李良は秦から引き抜き受けており、このことで李良謀反決意武臣の姉の一行皆殺しにするとその勢いで邯鄲攻め武臣左丞相邵騒討ち取った。だが、間一髪のところで張耳陳余逃亡した張耳陳余趙王の子孫である趙歇探し出して趙王にし、信都都に定めると、裏切った李良攻めて打ち破った李良は秦の章邯のもとへ逃亡章邯直ち部下王離信都へ向かわせ、章邯堅城である邯鄲打ち壊して籠城できない廃墟にしてしまった。邯鄲籠城あきらめた張耳趙歇鉅鹿向かい陳余援軍求めて恒山向かった章邯はまず鉅鹿糧道絶ち鉅鹿の兵は飢えはじめた陳余援軍率いてやって来たものの章邯軍の多勢ぶりを恐れてただ見守っているしかなく、張耳何度も救援要請をしたが、陳余は動かなかった。そこで張耳家臣の張黶と陳余親族である陳澤を使者送り「かつて刎頸の交わり交わし、また数万の軍を擁しながらなぜ援軍送らないのか?援軍送って共に死んでくれないか」という手紙送った。だが、陳余は「ここで援軍派遣して無駄死にするだけだ」と断った。張黶と陳澤は食い下がって5千の兵を陳余から借りて章邯軍を攻めたが、歯が立たず二人とも戦死し、5千の兵は全滅した。これを見ていた他国援軍張耳の子張敖章邯強さ恐れ見守るしかなくなってしまった。 やがて援軍として項羽軍勢到着した項羽はまず章邯糧道絶ったうえで楚軍の船と食料を川に投げ捨て兵士らに3日分の食料だけを渡し討ち死に覚悟章邯軍と戦わせ、これを打ち破って張耳趙歇救った危機去ったが、この時すでに張耳陳余の仲は破綻していた。張耳は張黶と陳澤は陳余死なせたと思っており、陳余は「そこまで疑うのであれば職を辞すと言って印綬放棄して、わずかの近侍引き連れて黄河付近南皮漁師となった

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