1世紀 - 10世紀とは? わかりやすく解説

1世紀 - 10世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:08 UTC 版)

ハレー彗星」の記事における「1世紀 - 10世紀」の解説

66年 Horayotというタルムードに「70年一度現れる船長惑わす星」として言及見られる。この星が66年出現ハレー彗星だと考えられている。この文章当時ラビJoshua ben Hananiahの手よるものとされ、彼の生きている時に起こったのであることから年代特定された。 141年 『後漢書』観測記録があり、うみへび座現れしし座通過し、約56日間見えたと書かれているまた、タミル語書かれたPunaranuruにはチェーラ朝(英語版)の王、Yanaikatchai Mantaran Cheral Irumporaiの死に関連があると書かれている218年 建安23年218年)、朝の東の空に彗星出現し彗星の尾太微垣五帝座(デネボラ)の方向指していたことから、帝位異変が起こる前兆とらえられた。なお、2年後献帝 (漢)廃位され後漢滅亡している。 295年 『晋書』観測記録があり、アンドロメダ座出現したのち、ペガスス座通過ししし座の方へ行ったと書かれてある。 374年 『晋書』観測記録があり、寧康2年374年)、みずがめ座出現してんびん座おとめ座からす座コップ座みずへび座動いて行ったと書かれている。このとき、ハレー彗星地球に0.09auまで接近していた。 451年 『宋書』観測記録があり、元嘉28年451年)にペルセウス座見られて、最終的にからす座消えたとある。更にヨーロッパで現在のフランスで行われたカタラウヌムの戦いアッティラ前進阻まれ最終的に負け前兆となった考えられている。 530年魏書』に観測記録があり、永安3年530年8月29日北東の空でおおぐま座λ星とおおぐま座μ星の東近く現れた。その後同様の現象起こり9月27日消えたと書かれている607年 『隋書』観測記録見られ大業3年607年3月13日アンドロメダ座現れしし座消えたと書かれている。このときはハレー彗星地球に0.09auまで接近しており、隋書には100日間以上も見えたことが書かれているまた、同年10月21日にも観測記録見られるがこれはハレー彗星近日点通過した後の観測記録である。 684年 『日本書紀』観測記録があり、天武天皇治世13年684年9月7日出現した日本最古記録である。『旧唐書』にも観測記録があり、光宅元年684年11月11日に西の空に現れたとある。ドイツの『ニュルンベルク年代記』にもハレー彗星思われるものがあるが、観測から800年経った後に出版されたものであるため作者による想像を含む可能性がある。 760年 『旧唐書』観測記録見られ上元元年に東の空、おひつじ座見られと書かれている837年 記録残されている中ではハレー彗星が最も地球に近づいた接近でありその距離は0.03auである。観測記録中国日本ドイツ中東などで見られた。日本では続日本後紀』に見られ4月12日南東の空に現れたとある。フランク王国皇帝ルートヴィヒ1世ハレー彗星出現天の警告恐れ祈祷懺悔をした。中国では『旧唐書』観測記録があり、開成2年837年3月22日南西の空のみずがめ座α星付近で現れ4月28日しし座の方で消えるまでが詳細に書かれている912年 日本では日本紀略』『扶桑略記』に観測記録がある。どちらの文献にも7月19日から7月28日彗星見られたことが書かれている中国では『新五代史』に観測記録があり、乾化2年912年5月13日みずへび座東側出現したと書かれているまた、アイルランド年代記アルスター年代記英語版)にも彗星について言及がある。 989年 日本では日本紀略』『一代要記』に観測記録がある。『日本紀略』には7月6日彗星8月13 - 23日彗星記載されており、前者についてはハレー彗星なのかどうか不明である。『一代要記』では8月15日に東の空に彗星があったと書かれている中国では『宋史』に観測記録がある。8月13日ふたご座の西で出現し30日間観測された。最初10日間は朝に見られたが残り夕方見られるようになったとも書かれている。『高麗史』にはハレー彗星思われるものが記録されているものの10月18日日付合っていない。

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1世紀 - 10世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 07:20 UTC 版)

火山噴火の歴史」の記事における「1世紀 - 10世紀」の解説

1年 - 1000年まで 発生火山概要 1. 50±100年 - アンブリム島 - VEI6。 2. 79年 - ヴェスヴィオ - 8月24日大噴火に伴う翌25日朝の火砕流土石流によりローマ帝国時代ポンペイ全滅、約2,000死亡詳細は「79年のヴェスヴィオ噴火」を参照 3. 6世紀前半頃 - 二ツ岳 - 約30年おきに起こった2回の噴火二ツ岳渋川噴火二ツ岳伊香保噴火)で二ツ岳集落壊滅させる被害。 4. 535年? 416年? - クラカタウ - 噴出不明世界各地異常気象による混乱発生。「535年大噴火」。ジャワ島歴史書では噴火416年としている。ジャワ島西部のカラタン文明崩壊、およびメキシコテオティワカン文明衰退もたらした考えられている。 5. 764年 - 桜島 - 天平宝字8年旧暦12月に島の東岸噴火スコリア丘鍋山形成し長崎鼻溶岩流噴出『続日本紀』によれば民家56戸が埋没し80余人死亡したという。 6. 864年 - 富士山 - 貞観6年5月25日噴火貞観大噴火記録に残る富士山の噴火では、最大規模大量溶岩流出し青木ヶ原樹海形成詳細は「貞観大噴火」を参照 7. 874年 - 開聞岳 - 貞観16年3月25日旧暦3月4日)に噴火山頂火口溶岩ドーム形成。『日本三代実録によれば降灰作物枯れ川濁り病死者多数。 8. 888年 - 八ヶ岳 - 仁和4年6月20日旧暦5月8日)に発生した八ヶ岳山体崩壊による千曲川洪水多数死者発生。これが八ヶ岳水蒸気爆発よるものとする仮説がある。 9. 915年 - 十和田湖 - 噴出量6.5km3。火砕流周囲20kmを焼き払い火山灰東北地方一帯に積もる。湖中より噴火。『扶桑略記によれば延喜15年旧暦7月5日)に天が暗くなり、数日後出羽国より降灰連絡届いたという。 米代川流域には、胡桃館遺跡などこの噴火によるラハール埋没した平安時代前期遺跡が残る。噴火ラハール民衆伝承されたものが『三湖伝説』であるという。詳細は「三湖伝説」を参照 10. 946年?(969±20年?) - 白頭山 - 日本北海道から東北地方にかけて多量降灰分布確認されている。詳細は「946年白頭山噴火」を参照

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