起源と歴史的経緯とは? わかりやすく解説

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起源と歴史的経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 15:22 UTC 版)

プンタ」の記事における「起源と歴史的経緯」の解説

ガリフナ文化においてガリフナ人々は自らをガリナグ(Garinagu)ともガリフナGarifuna)とも称するが、ガリフナと言う場合は、主に、ガリフナ文化音楽、そしてダンスのことを指すことが多く人々指し示す意味で使われることは相対的に少ない。ガリフナダンス音楽代表例であるプンタ起源について考えられる説が様々ある。プンタという語は、ブンダ(bunda、マンデ系の言葉で「尻」の意味)と呼ばれる古代西アフリカリズムの名称がラテン語化したのであるまた、プンタダンスは、クリアオ(kuliao)という呼び名でも知られている。この呼び名は、スペイン語の「culeado」(クレアド/fucked personアナルSEXされた人、の意味)に由来する別の説では、「from point to point」(爪先から爪先、場所から場所へ動く、といったニュアンス)を意味するスペイン語由来する、という説もある。 プンタダンスは、男女ダンサー観客囲まれた輪の中で別々に踊る形式で踊られる。男女ダンサー向き合って踊り始めるが、踊り動作各人自由な振付で踊るので、決まった振付の型があるわけではないが、いつも男女求愛を表すダンス踊り、まず、男が求愛し、次に女が求愛し、夫々踊っている間は片方は、その求愛ダンス見ている、という形式。そして、それを延々と繰り返し男女どちらかが、疲労でもやる気減退でも理由何であれ根負け認めて観客取り囲まれた輪の外に退散しその後即座にその抜けた男女どちらか代わりに誰かが輪の中に入ってきて踊り始めれば、また延々と継続され誰も踊るものが出なくなるまで、終わることなく男女交互求愛ダンス続けられる

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起源と歴史的経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 14:30 UTC 版)

ワラチャ」の記事における「起源と歴史的経緯」の解説

1920年代から1950年代にかけての時期キューバ大アンティル諸島地域発祥ダンススタイルや歌が世界的に流行し、それらはワラチャ呼ばれた。特に人気出たキューバ以外の地域は、プエルトリコと、キューバプエルトリコからの移民多く住むニューヨークまた、メキシコでは1950年代から浸透しはじめ1980年代はじめ頃まで、ワラチャ広くメキシコ社会にも浸透したそのように20世紀になり広く流行する前、歴史を辿ると18世紀に、四行連の詩に合わせて踊るようになったのが始まりと言われている。また、コミックソング的なものとして18世紀末頃から歌われだして人気出た音楽ジャンルでもあり、世間によくいるあんな人こんな人という類型やら世間習慣風習的なものを歌う。 ワラチャ音楽の起源に関しては、更に歴史遡り1583年4月ハバナ植民地時代キューバ総督ガブリエル・デ・ルホァン(スペイン語: Gabriel de Luján)が政敵権力闘争していた時、街頭広場ギタリストコーラスが、そういった政争批判する歌を歌っていた、とする記録もある、勿論、音楽的リズム等は、今現在ワラチャのものとは同じではなかったが。 ワラチャダンス起源遡ると、スペインマドリードのテアトゥロ・ブフォ(スペイン語: Bufo (teatro))で踊られていたサパテアド(英語: Zapateado (Spain))というタップダンス辿り着く。テアトゥロ・ブフォは、19世紀スペインキューバ人気のあった、観客風刺的なユーモア笑い提供する劇場で、ワラチャは、その中の一部分であったが、後に、ワラチャだけが単独舞踏会演じられるようになった。そして20世紀入り、他ジャンル音楽と共に演奏され歌われる機会増え、より世間広まっていく中で、クリエイティヴワラチャ作曲家等のミュージシャン続々登場し始め、それが20世紀ワラチャ世界的流行へと繋がっていった。 ワラチャは、歌や踊りジャンル1つとして19世紀初期以降伝承文学語られ続け、今に至っている。それは即ち、長い年月をかけた進化発展を今も続けているからである。

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起源と歴史的経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:12 UTC 版)

ソン・ハローチョ」の記事における「起源と歴史的経緯」の解説

Jarocho(ハローチョ)というのは、メキシコ港町ベラクルス地域音楽スタイル音楽、またはその音楽をする人達、のことを指す。また「son」(ソン)は「sound , rumor」〈音、噂〉等の意味であり、ソン・ハローチョ文字通りの意味は「ハローチョの音・音楽」、即ち、ベラクルスの人達が奏でる音楽ベラクルス地域発祥とする伝統民族音楽またはフォーク音楽一種ということである。 そのソン・ハローチョ起源には複数要素含まれるアフリカから連れて来られ黒人奴隷奴隷ではない黒人フリーマン達、の影響アフリカリズムルーツがある、または影響受けている。 使用楽器もアフリカルーツのモノ色々とある。 スペインの植民地だった歴史的経緯から、放浪民族ロマ(Gitano/ヒタノ)の音楽の影響(つまりはフラメンコ影響)もある。 というベラクルス地域に、外から流入してきた要素が、元々、ベラクルス地域住んでいた先住民音楽交わり複数音楽文化融合する形で、ソン・ハローチョという音楽形成されていった。 元々、ソン・ハローチョ音楽ダンスは、観客楽しませるエンターテインメント演目でも、文化的な表現ですらもなく、18世紀頃に距離的に隔たった農村集落同士コミュニケーションを取る為の意志疎通の手段だった。 また、当時植民地では先住民の文化矯正して消し去るために、教会側が文化価値観押し付けて自分達の色に染めよう試みており、それに住民が「皆、立ち上がれ」と言葉抵抗運動呼びかける代わりにソン・ハローチョの歌を使って鼓舞したりもした[要出典]。さらに支配体制にとって歌詞猥褻とか不愉快だと見なされたという理由もあり、当時植民地では支配側(国家体制ならびにカトリック教会)によるソン・ハローチョ弾圧禁止という歴史的経緯がある。 20世紀入りメキシコ革命戦火逃れアメリカ合衆国以降アメリカ表記)へ移住する移民増えて以降アメリカメキシコ系アメリカ人少しずつ増えていく。そんな中1940年代1950年代にはメキシコ系アメリカ人コミュニティも数はまだ少ないがアメリカ根付き始め呼応するようにアメリカでソン・ハローチョヒット曲生まれ始めた。「メキシコ系アメリカ人」=「貧し二流市民農作業等の雇われ単純労働者」という先入観固定概念があった当時ソン・ハローチョ音楽映画ラジオ等流れてヒットすることは、それら移民人々にとって自分達のルーツ音楽アメリカで聴き、この外国社会頑張ろうと力や勇気湧き社会的地位の向上よりよりよい生活を目指す原動力になったという見方もある。 また、20世紀後半ラティーノ労働者労働組合運動活発だった1970年代にも、ソン・ハローチョ音楽団結心高め役割果たした例もある。あるいはまた、1976年ロス・ロボスはその年のチャリティー・アルバム「Si Se Puede!(スィ・セ・プエテ!/Yes, We Can!)」(英語)の収益を、アメリカ農場労働者組合United Farm Workers(英語)に寄付している[要出典]。これはデビュー・アルバムでもあり、ソン・ハローチョ楽曲El Tilingo Lingo」を収録している。

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