設立と活動
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秋田犬保存会 1927年(昭和2年)5月に当時の秋田県北秋田郡大館町長である泉茂家によって秋田犬保存会が設立された。1931年(昭和6年)に国内犬種で初の天然記念物指定を受けると、1934年(昭和9年)頃から犬籍登録を実施。1938年(昭和13年)には秋田犬標準を制定した。 秋田犬保存協会 1936年(昭和11年)に秋田県全体の組織として「秋田犬保存協会」が設立され、秋田県知事の児玉政介が会長に就任した。 太平洋戦争中は軍用犬として国内で唯一認可されていたシェパードと交配することで血を繋ぐが、保存してきた秋田犬の血統からは大いに退行してしまった。戦後、残った少数の秋田犬を元に血統を回復する活動を再開。秋田犬保存会は1947年(昭和22年)から展覧会を再開し、1949年(昭和24年)からは会報「秋田犬」の発行を開始した。
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設立と活動
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大正から昭和初頭のプロレタリア文学運動に対して、未来派や表現主義の影響を受けた、横光利一らの新感覚派は前衛的なモダニズム文学流派としての立場をとっていたが、片岡鉄兵、今東光、鈴木彦次郎らが左傾し、さらに若手の作家たちもマルクス主義に接近して、新感覚派は内部崩壊に向かっていった。中村武羅夫による、文芸を「マルクス主義宣伝のために利用し、階級闘争の手段として役立てようとする主張」に反対する(「誰だ? 花園を荒らすものは!」(『新潮』1928年6月))といった、反プロレタリア文学の立場の文学者で、1929年末に、新潮社の『文学時代』や唯一の商業文芸誌『新潮』で活動していた中村武羅夫、加藤武雄、楢崎勤、佐左木俊郎、1919年2月に廃刊となっていた『不同調』の後継誌『近代生活』の同人浅原六朗、久野豊彦、龍胆寺雄、尾崎士郎、嘉村礒多、岡田三郎、飯島正、および川端康成、翁久允による「十三人倶楽部」を結成し、自ら「芸術派の十字軍」と名乗った。 「十三人倶楽部」を発展させて、久野豊彦と龍胆寺雄の提唱により、1930年4月に「新興芸術派倶楽部」が創設された。この第1回総会が4月13日に行われ、当時の若手作家で、『早稲田』の高橋丈雄、保高徳蔵、八木東作、『蝙蝠座』の中村正常、今日出海、小野松二、坪田勝、西村晋一、舟橋聖一、『文学』の永井龍男、小林秀雄、吉村鉄太郎、宗瑛、神西清、笠原健治郎、深田久弥、堀辰雄、『近代生活』の吉行エイスケ、『文芸都市』の阿部知二、雅川滉、井伏鱒二、蔵原伸二郎、古沢安二郎ら30名が出席した。主に『新潮』誌上で活動し、同年4月号には雅川滉が「芸術派宣言」で「「マルクス主義を通過した」芸術派」の立場を述べるなどし、5月には『芸術派ヴァラエティ』という、小説と評論を集めたアンソロジーを出版した。 これに永井龍男は「その人々は信ずるものを持たないかのようだ」「小器用さと、流行と、そして印刷術の精錬は文字で化粧品のレッテルや色刷のホテルラベルを制作している現状だ」(『1930』1930年4月号)と述べ、当時については川端康成が「新興芸術派の作家たちほどジャアナリズムに悪用されたことは類を見ない」と語ったような状態でもあった。読売新聞主催による「新興芸術派宣言並に批判講演会」は4月18日に開催され、講演者として雅川滉、舟橋聖一、阿部知二、横光利一、青野季吉、新居格が出演した。当初批判側として小林多喜二も予告されていたが、「『ナップ』委員会の決議により『芸術派を黙殺する』」という理由で出演が取り消された。 新潮社からは『新興芸術派叢書』が以下のラインナップで刊行された。 尾崎士郎『悲劇を探す男』 ささきふさ『豹の部屋』 中河与一『R汽船の壮図』 阿部知二『恋とアフリカ』 中村正常『ボア吉の求婚』 北村寿夫『淡彩の処女』 岡田三郎『物質の弾道』 龍胆寺雄『街のナンセンス』 久野豊彦『聯想の暴風』 川端康成『僕の標本室』 楢崎勤『神聖な裸婦』 佐左木俊郎『黒い地帯』 嘉村礒多『崖の下』 井伏鱒二『夜ふけと梅の花』 横光利一『高架線』 浅原六朗『女群行進』 十一谷義三郎『キャベツの論理』 池谷信三郎『有閑夫人』 舟橋聖一『愛慾の一匙』 吉行エイスケ『女百貨店』
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設立と活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 02:31 UTC 版)
ジャーナリストのロマン・バダニンは、2001年以来、Gazeta.Ru、Forbes(ロシア)、インテルファクス通信、RBK、およびDozhdの編集長として活動してきた。2017年にスタンフォード大学でジャーナリズムを学んだバダニンはオンラインメディア形式の調査ジャーナリズムへの従事を考えており、翌年のロシア帰国後にプロエクトを立ち上げた。 立ち上げ以来、ウラジーミル・プーチン大統領とその側近、軍や国営のエネルギー企業の腐敗、ワグナー・グループについての調査記事を発表している。 2019年にワグナー・グループに関する調査を始めると、郵送の手紙で「復讐する」と殺害の脅迫があり、プロエクトのスタッフのFacebook、Telegram、 Gmailのアカウントがハッキングされた。またジャーナリストのマリア・カルペンコがカメラを持った男に追いかけ回されたという。 2021年6月にはバダニンとジャーナリストのマリア・ジョロボワの自宅が家宅捜索され、副編集長のミハイル・ルービンは、ウラジーミル・コロコリツェフ内務大臣の隠し資産に関する記事を発表後に拘束された。同年7月15日には検事総長がプロエクトの活動を禁止し、バダニンと記者たち(ピョートル・マニャキン、オルガ・チュラコワ、マリア・ゼレズノワ、ユリア・ルキャノワ)を外国エージェントに指定した。会社としての登録がアメリカで行われていることから、ジャーナリストがアメリカの会社から資金を受け取っており「ロシア連邦の憲法秩序と安全保障の基盤に対する脅威」とされた。 同月、実刑判決に直面したことからバダニンはアメリカへの亡命を余儀なくされた。セキュリティ上の理由により、チームのほとんどがロシア国外で活動することになるとバダニンは説明した。亡命先にて、ロシア語の調査報道室を立ち上げて現在に至っている。 2022年6月16日、アレクセイ・ナワリヌイのチームと同日にガスプロムについての調査記事を発表した。CEOのアレクセイ・ミレルはじめこの企業の関係者がプーチン大統領の身内や諜報機関出身者で固められており、資産管理と機密保持をしてきたことなどが記されている。
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