設立と発電所建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:48 UTC 版)
日本水電株式会社は、鹿児島県を流れる川内川(せんだいがわ)に水力発電所を建設し化学工業を起こす目的で発起され、1918年(大正7年)11月5日に創立総会が開かれて発足した。資本金は200万円。役員には鹿児島の有力者が就いており、初代社長は松方乙彦(松方正義の八男)であった。当初本社は東京市麹町区(現・東京都千代田区)に置かれた。 会社の設立は済ませたものの、第一次世界大戦後の戦後恐慌で資金が集まらなくなり、発電所の着工は不可能となった。このことから日本水電は同じ川内川に水力発電所(曽木発電所)を持つ化学メーカー日本窒素肥料(後のチッソ)に支援を要請し、1922年(大正11年)10月に減資ならびに増資を実施して資本金を300万円とし、日本窒素肥料へ優先株3万2,000株を交付した。この結果同社は日本水電の全株式6万株の過半数を押さえて経営権を掌握、専務の野口遵が日本水電に社長として乗り込んだ。 日本窒素肥料傘下の新体制となった日本水電は川内川の鶴田発電所建設に着手。1924年(大正13年)11月、同発電所は出力4,384キロワットで運転を開始した。
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