戦闘服・防寒服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 03:02 UTC 版)
「軍服 (朝鮮半島)」の記事における「戦闘服・防寒服」の解説
下士官兵は平時戦士服(戦闘服)が基本である。47年制式ではソ連軍の35/41型ギムナスチョルカの影響を受けつつも、朝鮮の伝統衣装であるパジのような幅の広いズボンと開襟時のガスフラップを特徴とする。58年改正以降は折襟であり、ズボンの丈も外出服と変わらないが、裾をボタンで留めるものもある。材質はテトロンもしくは綿製で、訓練・作業等の平時には綿製を使うが、儀礼時にテトロン製を使うといった使い分けの規定はないとされる。夏服の支給は3月末に行われ4月1日に衣替え、冬服の支給は11月中旬に行われる。支給頻度は一般部隊は2年に1回、軽歩兵・偵察部隊は毎年である。サイズは身長によって3号、4号、5号などと分けられており、4号(166㎝~172㎝)が一般的とされる。 なお例外として、工兵部隊(建設部隊)は規律の悪さから通常の軍服を着用する事が許されなくなったため、赤茶色のブルゾン型といった独自の作業服を着用、兵・下士官は労農赤衛軍兵士が被るものと同様ハンチング帽と赤い星章、軍官においては通常の戦闘帽を被る。 迷彩服は、航空陸戦隊、海上狙撃旅団などを中心にかつてのソ連軍など東側の軍隊に多く見られたつなぎ式の迷彩服を通常の軍服の上から着込む古いものであり、迷彩の形状、パターンは主に3~4色からなるシンプルなダックハンターだった。色は濃い緑、薄い緑、ベージュ 、濃い緑、薄い緑、赤茶色、焦げ茶色 など複数が確認できる。帽子は略帽やウシャンカを被るが、1992年の朝鮮人民軍創建60周年記念式典には迷彩服と同じパターンの略帽の使用が確認できる 。この他、対南浸透用に韓国軍の迷彩を模倣することもあった。しかし、これらの支給は前述の特殊部隊等一部の部隊に限られ、以降21世紀になっても長らく基本的な軍服に迷彩は取り入れられない、近年ではもはや珍しい類の軍装となった。これは共和国の深刻な経済状況により全軍支給ができない、或いは一線級部隊のみでしか迷彩服が必要視されていない事から、迷彩服を大量生産するラインが確立できていないためと推定されている。 こうした問題は朝鮮人民軍側も重く受け止めていたようであり、2000年代より独立して着用するタイプの試作迷彩服を3種類ほど製作。一つは中国人民解放軍の87式迷彩や99式迷彩に似た4色パターン、もう一つは自衛隊の 、そしてもう一つは韓国軍の斑柄迷彩風であった が、何れも模様が縦長でやや細かくなるなど独特なものであった。これらは師団級と思われる複数の軍部隊で着用され、特に人民解放軍風は、2005年の人民解放軍の演習“北剑-2005”を観閲する駐在武官も着用した。ポケットの形式は貼りポケット型で2つ切れ込みが入る。上衣の他、両腕上腕部にも1点ずつ存在する。領章は左胸に付けており、星の数とその左側の縦線で示していた。 そして2010年、全部隊対象と思われる迷彩服が正式導入された。ポケットの形状等は試作品に近いが、迷彩パターンは87式迷彩や99式迷彩により近くなった。また領章も試作品の独特なものではなく、通常の軍装と同様のパターンの軍事称号を襟に付けることとなった。ただし、低視認性を意識し下地は緑で、その周りを陸軍の場合赤で囲む。襟布は国境部隊を除き基本的に付けないものと推測される。まずは国境警備に当たる朝鮮人民内務軍(後述)などの前方師団を中心に支給が始まり、日を追うごとに普及率は高まりつつあると考えられる。 しかし、厳しい経済状況の中でこうした急速かつ大量生産は生産側にかなりの無理を強いたようで、軍服の生地質の悪化や製法の簡略化などが多く行われており、基本的な耐久性すらも疑問視される程である。2016年10月に韓国メディアで現物が紹介されたが、縫い目が整理されておらず、返し縫いは仕上げが正しくされていないなど非常に杜撰な作りであることが明示された。また、着用者によれば肌触りも悪く、規定サイズよりも小さいとの事である。このため、輸入した方が安上がりであるため、朝鮮族を通して中国国内の工場に外注したり、後方部隊では07式迷彩の導入で不要となった人民解放軍の99式迷彩服を安値で買い取っているとされる。 ヘルメットは長らくソ連のSSh-40に似た古めかしいものに迷彩ヘルメットカバーを被せていたが、2011年頃より板門店警備隊を中心にケプラー製ないしプラスチック製のフリッツヘルメットが現れた。2015年、2016年の閲兵式の映像でもヘルメットはフリッツヘルメットにほぼ置き換わっており、かなりの数が急速に普及していると思われる。PASGT型ヘルメットに似ているが顎紐が4点式で、ヘルメットカバーではなく直接塗装しているようである。 また、2016年12月11日に公開された人民軍第525軍部隊(総参謀部作戦局)直属の特殊作戦大隊による青瓦台襲撃訓練では、暗視装置や防弾ベスト、ニーパッドなど装備の急速な近代化が確認できる。2017年太陽節での閲兵式では、こうした近代化装備の兵士が登場し、デジタル迷彩仕様であることが判明した。またこれ以外にも、灰色など多様な迷彩パターンが見受けられる。更に2020年10月に行われた軍事パレードでは行進した部隊のほとんど全てが新種の迷彩が施された戦闘服になり、防弾ベストやニーパッド、フリッツ式のヘルメットを装備していた。モバイル端末らしきものを右腕のポケットにしまっている兵士も見られた。また多種多様な戦場を想定しているのか、砂漠迷彩や寒冷地用の迷彩が施された部隊も新たに登場した。 防寒服としてはソ連式のテログレイカと呼ばれる服に似た綿の入れられた特徴的な被服がある。この防寒服は九州南西海域工作船事件において自爆した工作船から回収された遺留品の中にも同型の防寒服がある。また防寒帽も同じくソ連式のウシャンカ型である点も各共産圏軍装とも共通した特徴である。 一方、軍官および特別待遇軍人たる戦士が制服と併用して着用する通常勤務用の外套はボタン4個2列ダブルブレストのチェスターフィールドコートであり、将官、元帥クラスとなると袖章が付く。 1947年制式の戦士服 1958年制式の現行戦士服を着用した非武装地帯の歩哨(上等兵)。本来上衣は下衣の中に入れなければならないが、彼は外に出している(2005年7月31日) 少尉(前列右端)に引率される下士官兵ら。制服を着用している軍官との違いに注目(2012年8月5日) 2010年型の迷彩服を着用する部隊(2015年10月) 2010年型の迷彩服を着用する部隊(2015年10月) SSh-40タイプのヘルメットを被った軍官(中央:少尉、両端:中尉) 新型のフリッツヘルメットを被った兵士(2015年10月) 外套を着用する下士(伍長に相当)(2009年3月6日) 外套着用の大尉(2018年3月) 外套を着用した中将。(李相朝、1953年4月10日) 建設部隊将兵(2012年8月5日)
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