戦時・戦後とは? わかりやすく解説

戦時・戦後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:11 UTC 版)

東海道本線優等列車沿革」の記事における「戦時・戦後」の解説

1939年昭和14年11月 日中戦争戦況進み満州中国大陸へ向かう需要増加東京駅 - 下関駅間の急行増発並行して東京駅 - 大阪駅間にも昼行二・三急行1021・1022列車和食車連結)、夜行二・三急行10231024列車二等三等寝台車、和食車連結)の2往復新設される。その一方通勤列車なども増発したため、一部地域では平行ダイヤ優等列車普通列車所要時間をほぼ同等とすることで、間隔詰めて列車本数増発する方法)化がおこり、一部上り急行列車所要時間東京口で延伸した。 1940年昭和15年10月 前年引き続き東京駅 - 下関駅間の急行列車増発される。その一方で下り夜行急行列車所要時間一部延伸された。これもまた、通勤列車増発伴って平行ダイヤ採用したためである。また東京駅 - 米原準急701702列車現在の快速列車に相当)の格上げにより東京駅 - 名古屋駅運行という、当時としては短距離急行列車である二・三急行1041・1040列車食堂車連結)が設定されたほか、急行10231024列車東京駅 - 神戸駅間に延長急行15列車東京駅 - 大阪駅間の運転に短縮急行16列車急行20列車順序入れ替わった1940年昭和15年12月 輸送力増強目的として急行1516列車三等寝台車と食堂車連結中止される1941年昭和16年7月 三等寝台車の使用中止全廃となる。列車需要急増したことによる混雑緩和するのが目的であった。このほか急行1320列車10231024列車、1033・1034列車食堂車連結中止された。 1942年昭和17年11月 関門トンネル開通して東京駅 - 下関駅運行であった特急・急行列車多くが、九州まで足を延ばすようになったこれに伴い実施されダイヤ改正により、「富士」は東京駅 - 長崎駅運行となり、前述した上海航路への接続列車ともなった「櫻」鹿児島駅まで足を延ばすことになったものの、急行列車7・8列車)に格下げされ愛称消滅同時に不定期「燕」も廃止されたほか、東海道・山陽本線列車番号整理され東海道本線内のみを走る定期特急・急行列車列車番号基本的に100番台用いることとなった1943年昭和18年2月 1941年12月始まった大東亜戦争太平洋戦争)を受けて前年10月閣議決定された「戦時陸運常体制」に基くダイヤ改正が行われ、列車が各線で大幅に削減される東海道本線では特急「鷗」廃止特急「燕」や急行113114列車以前急行17・18列車)が東京駅 - 大阪駅運行区間短縮された。 1943年昭和18年7月 それまで特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」とする。この時「特急」の呼称制度上は廃止された。なお、第一種急行にはそれまで特急富士」・「燕」の他に、かつての「櫻」であった7・8列車指定され列車番号以前3・4列車復した1943年昭和18年10月 戦時下における観光旅行などの自粛受けた決戦ダイヤ」と称される時刻改正が行われ、「燕」は廃止、「富士」は東京駅 - 博多駅間運転に区間短縮され所要時間伸びたその他に東京駅 - 博多駅運行急行5・6列車東京駅 - 大阪駅運行急行105106列車統合して東京駅 - 長崎駅運行急行5・6列車再編東京駅 - 大阪駅運行急行111112113114・115116列車東京駅 - 名古屋駅運行急行125・126列車廃止されるなど、各線で列車大幅削減運転区間短縮所要時間延伸が行われた。 1944年昭和19年4月決戦非常措置要綱」に基きダイヤ改正。「富士」が廃止され第一種急行すなわち特急列車消滅。その他一等車展望車寝台車食堂車全廃、これ以外にも各線の列車大幅に列車本数削減された。 1944年昭和19年10月 それまで大垣駅 - 関ヶ原駅間には25‰の関ヶ原方面向かって登り急勾配区間存在したが、戦時貨物輸送増強を図るべくそれを10‰に緩和した迂回線が建設され、この時から使用開始された。なお同区間には垂井駅存在したが、それへの代替で同迂回線には新垂井駅下り列車専用の駅として設置された。(新垂井駅その後1986年昭和61年11月廃止される1945年昭和20年1月 東京駅 - 鹿児島駅運行急行3・4列車運転区間東京駅 - 熊本駅間に短縮下り列車列車番号は3列車から1列車変更となる。 1945年昭和20年3月 急行列車全国でも、東海道本線・山陽本線東京駅 - 下関駅運行1・2列車以前1・4列車)1往復のみとなる。(1・2列車同年6月門司駅まで延伸1945年 - 1946年昭和20 - 21年この年の春以降激化した連合国軍機による本土へ空襲影響石炭事情影響同年8月終戦受けた連合国軍最高司令官総司令部傘下鉄道司令部による運行指令への変更、さらに連合軍専用列車運行によるダイヤ変更などより、列車増発削減繰り返された。 1947年昭和22年1月 石炭事情悪化したことにより、列車大幅に削減され急行列車二等車全廃される。これは日本の鉄道史上、最悪事態であった

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戦時・戦後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:12 UTC 版)

山陽本線優等列車沿革」の記事における「戦時・戦後」の解説

1939年昭和14年11月 1937年昭和12年7月盧溝橋事件契機勃発した日中戦争戦況泥沼化し、大陸方面への往来需要増加したこともありダイヤ改正が行われ、山陽本線では大阪駅 - 下関駅間に昼行二・三急行1025・1026列車夜行二・三急行1027・1028列車新設される。 1940年昭和15年10月 昨年引き続き輸送需要増大からダイヤ改正が行われ、東京駅 - 下関駅間にも二・三急行1035・1038列車新設された。 1941年昭和16年7月 戦時体制強化と列混雑緩和目的から全列車三等寝台車が使用停止となる。 1942年昭和17年11月 昨年12月勃発した太平洋戦争深刻化する中、この年6月関門トンネル開通し下関駅 - 門司駅間山陽本線組み入れられた。関門トンネルでの旅客列車の運行開始されたこの11月実施されダイヤ改正では、それまで下関駅どまりであった列車多く九州へ足を進めるようになり、特急・急行列車番号東海道本線・山陽本線直通する列車一桁ないし二桁東海道本線内のみを走る列車100番台山陽本線内のみを走る列車200番台としたほか、以下の形で列車系統再編された。 特急列車では「富士」が長崎駅まで足を伸ばすようになったが、「櫻」鹿児島駅まで延長となったものの、急行7・8列車格下げとなった急行列車では5・6列車門司駅まで延長し11・12列車7・8列車鹿児島駅まで延長し3・4列車9・10列車博多駅まで延長し5・6列車としたほか、東京駅 - 下関駅運行1914列車13・14列車、1035・1038列車1516列車大阪駅 - 下関駅運行1025・1026列車202203列車、1027・1028列車204205列車列車番号変更された。 1943年昭和18年2月 戦況悪化はじめた中でダイヤ改正され石炭戦時物資輸送貨物列車増発される一方で旅客列車大幅に削減されることとなった7月 それまで特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」と呼ぶようになり、1942年11月以前特急「櫻」だった急行7・8列車は「第一種急行」に指定列車番号3・4列車戻された。 10月 列車がまた大幅に削減され、「富士」は博多駅打ち切りとなったほか、東京駅 - 門司駅運行急行5・6列車東京駅 - 大阪駅運行急行105106列車統合される形で東京駅 - 長崎駅運行急行5・6列車として再編東京 - 鹿児島駅運行急行7・8列車一等寝台車展望車連結廃止のうえ下関駅打ち切り急行1516列車となり、東京駅 - 門司駅運行急行11・12列車急行7・8列車東京駅 - 下関駅運行急行1516列車急行11・12列車列車番号変更大阪駅 - 下関駅運行急行202203・204・205列車廃止された。 1944年昭和19年4月決戦非常措置要綱」に基くダイヤ改正が行われ、「富士」が廃止され特急全廃となり、そのほかに東京駅 - 下関駅運行急行1516列車廃止一般営業列車から展望車一等車食堂車寝台車消滅した10月 東京駅 - 下関駅運行急行11・12列車廃止となったほか、輸送力増強のため、岩国駅 - 櫛ケ浜駅間で勾配が緩い柳井線複線化して再び山陽本線とし、それまで山陽本線支線岩徳線格下げとなった1945年昭和20年1月 各線で列車削減進み山陽本線を走る急行列車東京駅 - 鹿児島駅運行急行運転は東京駅 - 熊本駅間)の1・4列車東京駅 - 門司駅運行5・8列車東京駅 - 広島駅運行呉線経由)の7・6列車を残すのみとなった3月 また列車削減され山陽本線含め日本全国での優等列車は、東京駅 - 下関駅運行急行1・2列車以前1・4列車)のみとなる。 6月 急行1・2列車運行区間門司駅まで延長11月 東京駅 - 広島駅間に1往復急行設定。しかし1ヵ月後には石炭事情悪化休止となり、その後列車増発削減繰り返された。 1947年昭和22年1月 急行列車二等車全廃される。4月 東京駅 - 博多駅門司駅間に1往復ずつ、計2往復急行列車復活この後は、各線で急行列車準急列車新設増発されるようになった1948年昭和23年7月 このとき実施されダイヤ改正で、東京駅 - 広島駅間に呉線周り1往復不定期急行列車東京駅 - 門司駅広島駅間に1往復ずつの計2往復大阪駅 - 長崎駅間に1往復京都駅 - 門司駅間に1往復の、計4往復不定期準急列車設定される。その一方で急行列車速度一部低下した

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