特急「鷗」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 22:32 UTC 版)
「東海道本線優等列車沿革」も参照 1937年7月1日から東京駅 - 神戸駅間で運行を開始した。「櫻」よりも30分先行する時刻で運行されていたが、東京駅は午後に発車、神戸駅は午前に発車し所要時間は「燕」より20分ほど長く、同区間を走っていた「燕」や、同時間帯を走る「富士」と「櫻」の補助的性格が強い列車であった。 列車は、一・二・三等各車両と洋食堂車で編成されていた。展望車は1939年3月まで連結が見送られ、利用率次第ではすぐに臨時列車へ格下げする予定であったといわれている。この「鷗」の設定された頃が、戦前の鉄道の最盛期であった。しかしながら同列車の設定された6日後の7日に盧溝橋事件が起こって日中戦争が勃発し、日本は次第に戦時体制に突入して行き、鉄道を取り巻く環境も変化していくことになり、1943年2月に戦況の悪化に伴い廃止された。なお、戦後の1950年代に東京駅 - 大阪駅間で運行されていた特急列車「はと」は、戦前の「鷗」とほぼ同じ時刻に運行されていた。
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