スイテ37形とは? わかりやすく解説

スイテ37形(スイテ37050形)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 06:17 UTC 版)

国鉄オハ35系客車」の記事における「スイテ37形(スイテ37050形)」の解説

特急「鷗」一等展望車として1939年昭和14年)に鉄道省大井工場オイテ27000形の台車などを流用して2両が改造された。 オイテ27000形は木造展望車掉尾を飾る形式であり、鋼製展望車第1陣となったスイテ37000形のプロトタイプとなった形式でもあるが、木造ゆえに鋼製展望車就役開始後は特急運用から外され1930年昭和5年)には各等急行7・8列車昼行区間である京都 - 下関間に限定運用連結されていた。 これらの陳腐化目立ってきたことから鋼製化が計画され前年のスイテ37040形2両の「富士」への投入によって余剰となったスイテ37000形を第7・8列車転用しこれに伴い余剰となった同形式2両を鋼製の上で、新設特急「鷗」充当することとなったものであった。 「」が「燕」の増発相当する通常の昼行特急であったため、内装洋風明るインテリア統一されており、室内レイアウト前年大井工場が手がけたスイテ37040形に準じつつも区分室が設置され前部展望デッキ側から10名分ソファ配する定員外の展望室、8名分回転式腰掛折畳テーブル有する開放室のほか、政府高官貴賓用として3名用と6名用の側廊下式区分室が各1室設備され3位化粧室および便所、4位に備品室車掌室が設備された。 当初オイテ27000時代以来の釣合備える古い設計の3軸ボギー式台車であるTR71を改造したTR76を装着しており、文字通り馬脚現し格好であったが、これは乗り心地不評であったことから戦後TR73交換され当時現役の他の展望車同様に1951年昭和26年)に乗り心地改善目的として揺れ枕吊り245 mm延長してTR73A改造された。 これに対し車体新製されたUF51A台枠上に溶接組み立ての鋼体を組み上げ平滑車体実現し展望室および開放室には1,200 mm幅の、区分室および側廊下には1,000 mm幅の側窓を有するすっきりした印象外観となった戦前には「」の展望車として専ら用いられ1941年昭和16年10月称号改正木造車の鋼製車であったことから展望車中最若番となるスイテ37形に改称その後は「」の廃止まで使用された後、戦時中休車扱いとして疎開していたが、1はその間著しく荒廃し戦後進駐軍による接収時にKM冷房装置搭載を含む大改装実施されて軍番号2104 STERNBERGとなり、状態が良好であった2も冷房化の上同様に番号2102 BOSTONとして接収された。 返還後特急「はと」を中心に運用され1953年昭和28年)の称号改正マイテ58形に改称された。 1956年昭和31年)の東海道本線全線電化時に淡緑5号塗装変更され、さらに1960年昭和35年)の三等廃止時にマロテ58形に改称され予備となった後、1962年昭和37年)に廃車となった

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