初期の木製展望車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 09:35 UTC 版)
日本最初の展望車は、1908年に九州鉄道が発注した車両を国有化後の国鉄が引き継いだ、ブトク1形だとされる。 定期列車においてはじめに使用されたのは、1912年に新橋 - 下関間一等・二等特別急行列車番号1・2列車(のち1929年に「富士」の愛称を与えられる。)に連結された木造車体のオテン9020形である。1912年に5両が製造され、翌1913年には一部の設計を変更したオテン9025が増備された。 1923年には車体断面を大型化した木造展望車のオイテ28070形が登場し、オテン9020形に取って代わった。1928年の称号改正でオイテ27000形に改称されている。置き換えられたオテン9020形4両は荷物車へと改造されたが、オテン9025はその後も予備車として残り、称号改正ではオイネテ17000となった。 オイテ27000形ものちに鋼製展望車の登場によって「富士」の運用から外され、うち2両は引き続き東京 - 下関間急行7・8列車の京都 - 下関間で使用、残りは予備車となったが、急行7・8列車の運用が鋼製展望車(スイテ37040形の登場によって「富士」から外れたスイテ37000形)に置き換えられた1939年には第12回東京オリンピックに備え2両が鋼体化改装され、スイテ37050(のちのスイテ37形→マイテ58形)となって特別急行列車「鷗」(かもめ)に充当されている。鋼体化されなかった3両はのちに荷物車等に改造された。 なお、外国要人や貴賓・高官の移動時に運用された展望車類似の特別車としてオトク9010形が1911年に製造されたほか、1922年には国賓用として10号御料車が展望デッキを備えた形で登場している。
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