10号御料車
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10号御料車は、1922年(大正11年)4月にイギリス皇太子エドワード・アルバート公(後のエドワード8世、ウィンザー公)来日に際して、食堂車である11号御料車、寝台車であるスイネ28110(後の700号供奉車)とともに鉄道省大井工場で製造された国賓用御料車で、御料車中唯一の展望車である。 車体は大型客車に属する木製のモニター屋根で、台車は大正6年度基本型の3軸ボギー台車である。全長は20.0m、幅は2.880m、高さは3.904m、自重は34.50tで、外板は深紅色の漆塗りで、金線で装飾され(現在は廃止されている)ており、車体中央部の腰板に菊の御紋章が取付けられている。 車内は、展望室(御座所)、休憩室、化粧室、供奉員室(3室)、供奉員化粧室、車掌室に区分されており、展望室を除いて片廊下式となっている。展望室の長さは6.317mで、妻には大型ガラス窓、側窓は幅1220mmの大型のガラス窓が4枚設けられており、後部は開放式の展望デッキとなっている。展望室の天井は若草色の絹地に花の刺繍、側天井も絹張りで雲取り金箔を散らし、欄間には花菱の七宝焼きが取り付けられている。室内には、安楽椅子8脚とテーブルが2台置かれており、乗車の賓客の歓談に用いられる。 本車は、この他にも多くの外国の王族が来日した際に用いられ、特筆すべきものとしては、1929年 (昭和4年)5月の グロスター公、1931年(昭和6年)4月のラーマ7世(シャム〈現 タイ王国〉)国王夫妻や、1932年(昭和7年)3月の満州国皇帝愛新覚羅溥儀の御乗用がある。また、皇太子(当時。後の昭和天皇)や皇太后のお召し列車にも連結されたことがある。 太平洋戦争後の1945年(昭和20年)10月29日、本車は11号御料車とともに連合国軍に接収され、軍番号2101(軍名称ASHEVILLE(アッシュビル)、省番号スイテ10)となり、第8軍司令官専用列車Octagonian(オクタゴニアン)号の編成に組み込まれた。1946年2月には、司令官の交代に伴い、軍名称がBALTIMORE(ボルチモア)と改称されている。 本車の接収は、11号とともに1951年(昭和26年)6月23日に解除され、7月1日に御料車に復したが、その後は使用されることなく大井工場に保管され、1959年(昭和34年)10月に廃車となった。1965年(昭和40年)には11号とともに解体されかかったが、関係者による保存運動が功を奏して解体を免れ、1969年(昭和44年)に鉄道記念物に指定された。 長らく東京総合車両センターに保管されていたが、2007年10月14日にさいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に移され、展示されている。
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