10号御料車とは? わかりやすく解説

10号御料車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 09:38 UTC 版)

皇室用客車」の記事における「10号御料車」の解説

10号御料車は、1922年大正11年4月イギリス皇太子エドワード・アルバート公(後のエドワード8世ウィンザー公来日に際して食堂車である11号御料車寝台車であるスイネ28110(後の700供奉車とともに鉄道省大井工場製造され国賓御料車で、御料車唯一の展望車である。 車体大型客車属す木製モニター屋根で、台車大正6年基本型の3軸ボギー台車である。全長は20.0m、幅は2.880m、高さは3.904m、自重は34.50tで、外板深紅色漆塗りで、金線装飾され(現在は廃止されている)ており、車体中央部腰板菊の御紋章取付けられている。 車内は、展望室御座所)、休憩室化粧室供奉員室(3室)、供奉化粧室車掌室に区分されており、展望室除いて片廊下となっている。展望室長さは6.317mで、妻には大型ガラス窓、側窓は幅1220mmの大型ガラス窓が4設けられており、後部開放式展望デッキとなっている。展望室天井若草色絹地に花の刺繍、側天井絹張り取り金箔散らし欄間には花菱七宝焼き取り付けられている。室内には、安楽椅子8脚とテーブルが2台置かれており、乗車賓客歓談用いられる本車は、この他にも多く外国王族来日した際に用いられ特筆すべきものとしては、1929年 (昭和4年)5月グロスター公1931年昭和6年4月ラーマ7世シャム〈現 タイ王国〉)国王夫妻や、1932年昭和7年3月満州国皇帝愛新覚羅溥儀御乗用がある。また、皇太子当時。後の昭和天皇)や皇太后お召し列車にも連結されことがある太平洋戦争後の1945年昭和20年10月29日本車11号御料車とともに連合国軍接収され、軍番号2101(軍名称ASHEVILLEアッシュビル)、省番号スイテ10)となり、第8軍司令官専用列車Octagonian(オクタゴニアン)号の編成組み込まれた。1946年2月には、司令官の交代に伴い、軍名称がBALTIMOREボルチモア)と改称されている。 本車接収は、11号とともに1951年昭和26年6月23日解除され7月1日御料車復したが、その後使用されることなく大井工場保管され1959年昭和34年10月廃車となった1965年昭和40年)には11号とともに解体されかかったが、関係者による保存運動功を奏して解体免れ1969年昭和44年)に鉄道記念物指定された。 長らく東京総合車両センター保管されていたが、2007年10月14日さいたま市大宮区開館した鉄道博物館移され展示されている。

※この「10号御料車」の解説は、「皇室用客車」の解説の一部です。
「10号御料車」を含む「皇室用客車」の記事については、「皇室用客車」の概要を参照ください。

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