11号御料車
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11号御料車は、1922年(大正11年)3月に10号御料車とともに鉄道省大井工場で製造された食堂車である。 車体は大型客車に属する木製のモニター屋根で、台車は大正6年度基本型の3軸ボギー台車である。全長は20.0m、幅は2.80m、高さは3.904m、自重は34.0tで、食堂車であるため菊の御紋章は取り付けられていない。 車内は、前位から職員室、供奉員室、食堂、献立室、料理室、大膳員室に分かれている。食堂の長さは7.31mで、天井は大格子造りで絹張りとなっている。食堂部の窓は幅1.22mの大きなもので、それが片側に4枚設けられている。その上には装飾としてあじさい、ゆり、あさがお、ぼたん、ざくろ、ぶどう等の浮彫りを額縁式に取り付けている。吹き寄せ部は絹裂地張り、引戸羽目には螺鈿が施されている。前位仕切り壁は、刺繍により桜に鳩の図を描いている。食堂中央部には長さ4.55m、幅0.8mのテーブルが置かれており、16個の椅子が備えられている。 1929年 (昭和4年) のグロスター公来日の際、国内を訪問した際には10号御料車と共に使用された。太平洋戦争後の1945年(昭和20年)10月29日、本車は10号御料車とともに連合軍に接収され、軍番号2204(軍名称URBANA(アーバナ)、省番号スシ11)となり、第8軍司令官専用列車Octagonian(オクタゴニアン)号の編成に組み込まれた。1946年2月には、軍名称がBELTON(ベルトン)と改称されている。 本車の接収は、10号とともに1951年(昭和26年)6月23日に解除され、7月1日に御料車に復した。その後は使用されることなく大井工場に保管され、1959年(昭和34年)10月に廃車となった。1965年に10号とともに解体命令が出され、関係者による反対運動が起こったが、その甲斐なく1966年1月に大井工場で解体された。
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