14号御料車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 09:38 UTC 版)
14号御料車は、皇太子(現在の上皇明仁)の御乗用として、1952年(昭和27年)に一・二等寝台車を大井工場で改造したものである。 もともとは、1938年(昭和13年)に三直宮の御乗用として鷹取工場で3両が製造された一・二等寝台緩急車マイロネフ37290形の1両(マイロネフ37290)で、1941年(昭和16年)、客車の形式称号改正によりスイロネフ38形(スイロネフ38 1)に改称された。太平洋戦争後の1945年(昭和20年)10月1日には連合軍に接収され、軍番号1309(軍名称San Antonio(サンアントニオ))となり、10号・11号御料車とともに第8軍司令官専用列車Octagonian(オクタゴニアン)号の編成に組み込まれていたが、1949年(昭和24年)にスイロネ37 1に改番、1951年(昭和26年)6月23日に接収解除となった。 1952年(昭和27年)11月10日、皇太子は立太子式をあげ、公務の旅行も多くなることから、本車を皇太子用の御料車として改造することとなった。10月から大井工場で改造に着手、11月6日の完成にともない、14号御料車と改称された。 車体は鋼製の丸屋根で、全長は20.0m、幅は2.90m、高さは4.02m、自重は43.14tである。台車は3軸ボギーのTR73を装着している。 車内は、前位から洋式トイレ、化粧室、御座所、シャワー室、備品室、開放式寝台、和洋トイレ、給仕室、車掌室に区分されており、御座所は、従来あった寝台を撤去して横手のソファとテーブルを置き、薄緑色の絨毯を敷いている。天井はベニヤ板の白色エナメル仕上げ、壁面は塩地のベニヤ板を白ラック仕上げとしている。 本車は落成後、11月17日から19日にかけて皇太子の関西旅行に使用されたが、菊の御紋章が付けられていないうえ、窓が小さいため皇太子の御座所がわからず、奉迎者から不評を買ったため、その後は2号御料車を使用することになった。 後に菊の御紋章は取り付けられたが、国賓用となり、1958年、イラン皇帝が初使用後、フィリピン大統領、ペルー大統領などが使用した。 本車は、2006年現在もJR東日本に車籍を有しており、東京総合車両センターの御料車庫に保管(名目上は尾久車両センターに配置)されているが、全く使用されていない。 なお同形式車のマイロネフ37292は、戦後皇太子用の非公式車両マイロネフ38 1(1955年からはマロネフ59 1)となり、1961年の廃車後は交通科学博物館で2014年4月の閉館まで保存されていた。同博物館では閉館時点で「ミュージアム探検ツアー」で車内の案内を行っていたため、皇室専用だった車両としては、唯一車内に入ることのできる保存車となっていた。2016年4月29日より、梅小路蒸気機関車館を拡張してオープンした京都鉄道博物館で保存・展示されている。
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