スロハ32形(スロハ31550形)
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「国鉄オハ35系客車」の記事における「スロハ32形(スロハ31550形)」の解説
スロハ31形(スロハ31500形)の後継車種となる亜幹線向け二三等車で、1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)にかけて日本車輌、汽車製造、川崎車輛、新潟鐵工所で合計72両が製造された。 車体は丸屋根で、台枠は1939年(昭和14年)落成車の一部にUF30が使用されたほかはUF38を使用し、台車はTR23を装着する。 36名分の座席と1,200 mmの側窓(のちに登場するオロ40形と同寸法)をもつ二等室と40名分の座席と1,000 mm幅の側窓をもつ三等室が中央部の便所、化粧室で二分された二三等車では標準的な客室設備を有する。 このうち60・67は14号御料車とその予備車(マイロネフ38 1)が整備されるまでの間、二等室側に仕切と8名分の寝台を設備して皇太子専用車として使用された時期がある。 戦災により9両が廃車となり、終戦後6両が進駐軍向けに改造され、その後復元されたが5両は復元と同時に北海道向け改造を施工し、100番台となった。残存車も後年20両が格下げされスハ50形100番台とされたほか35両がオハネ17形の種車となり、1967年(昭和42年)10月のダイヤ改正で最終在籍車である28・29(天タヘ)が運用離脱し、年内に廃車されたため形式消滅したが、これをもって客車並ロも消滅した。
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