14場所連続関脇在位を経て大関へ
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「豪栄道豪太郎」の記事における「14場所連続関脇在位を経て大関へ」の解説
再び自己最高位となる西関脇へ昇進した2012年5月場所では、8日目に横綱・白鵬に初めて勝利し、加えて把瑠都・琴奨菊・琴欧洲という3大関も破る活躍で8勝7敗と勝ち越しを決め、初の殊勲賞を受賞した。この5月場所の後、同年3月場所前から違和感があったという左肘を内視鏡手術し、遊離軟骨の除去を行っている。自己最高位を更新する東関脇の位置で迎えた翌7月場所では、2日目に琴欧洲を破り、7日目に稀勢の里を破ったものの、その稀勢の里戦で左脇腹を痛めてしまい、その後も出場して勝ち越しを目前としていながら、13日目の栃ノ心戦において上手投げで敗れた際に負傷箇所を悪化させたために翌14日目から休場し、結果的には7勝7敗1休という成績となって負け越した。前場所で負け越したものの翌9月場所でも西関脇の位置に留まった。 翌11月場所では幕内では自身初となる初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決めた。その後、9日目に横綱・日馬富士に敗れ、12日目まで4連敗を喫して優勝争いからは脱落したものの、2009年9月場所における把瑠都以来となる5大関全員を破る活躍を見せて、11勝4敗の好成績を挙げて3回目の技能賞を受賞した。 2013年4月23日には、豪栄道の送迎を担当する個人運転手が同年2月20日に豪栄道の自宅に侵入し腕時計(300万円相当)を窃盗したとして、逮捕された。警視庁竹の塚警察署によると、容疑者は「夜中に車を使われるのが嫌だった。困らせてやりたかった」と供述した。 2013年5月場所は7勝8敗と5場所ぶりに負け越したが、翌7月場所は西関脇にとどまり、その場所では初日から3連敗したが、終盤に6連勝し8勝7敗と勝ち越した。 2013年7月場所初日に相撲解説者の舞の海秀平が「場所前にぎっくり腰になった」と明かしたが、豪栄道は絶対に怪我のことを自分で言いたがる力士ではない。 2013年9月場所では9場所関脇連続在位となり、史上3位タイの記録となった。その場所では10日目に横綱・白鵬に唯一の黒星を付け、その他にも4日目に大関・琴奨菊、5日目に大関・琴欧洲、13日目に大関・稀勢の里を破る活躍を見せて11勝4敗の好成績を挙げ、2回目の殊勲賞を受賞した。翌11月場所は関脇連続在位が10場所となり、関脇連続在位は昭和以降では単独3位の記録となった。 同年10月には、寝屋川市ふるさと大使の委嘱を寝屋川市役所から受け(2015年11月現在に至る)、同市役所には豪栄道の等身大パネルやトロフィーなどが展示されている。 何度も大関取りを逃しては関脇で停滞を繰り返したことで一時期は「弱いから去年と同じ地位にいるんです」と自嘲気味だったが、2014年からは大関昇進を公言して自らを奮い立たせようとした。 2014年1月場所は関脇連続在位が11場所となり、関脇連続在位は昭和以降では琴光喜に並ぶ2位タイ記録となった。翌3月場所は関脇連続在位が12場所となった。関脇連続在位は昭和以降では単独2位(1位は魁皇の13場所連続)の記録となった。また、栃煌山が関脇に復帰したため、3関脇となった。3関脇は、2011年9月場所以来である。その場所では、7日目に大関・琴奨菊、13日目に横綱・日馬富士、千秋楽に大関・稀勢の里を破る活躍を見せて12勝3敗の好成績を挙げ、3度目の殊勲賞を受賞した。 翌5月場所は関脇連続在位が13場所となり、昭和以降では魁皇と並び1位タイ。この場所は成績いかんで大関昇進にもなり得るが、10日目を終えて5勝5敗と不調であった。それでも11日目に横綱・白鵬を破る殊勲の星を上げ、千秋楽に大関・琴奨菊を下して8勝7敗と勝ち越しを決め、4回目の殊勲賞を受賞した。続く7月場所は関脇連続在位が14場所となり、昭和以降では単独1位の記録となった。この場所は14日目が終了した時点で「関脇で安定しているので大関になってもまだまだやれるだろう」と伊勢ヶ濱審判部長が関脇連続在位記録を評価し、理事会で千秋楽の琴奨菊戦で白星を挙げることを条件として大関昇進を認める方針が決定した。千秋楽の取組では寄り切りで琴奨菊を下し、事前に示された条件を満たす形で大関昇進を決定づけた。 それから3日後の7月30日、愛知県体育館で開かれた日本相撲協会の番付編成会議と臨時理事会において、満場一致を得て正式に豪栄道の大関昇進が決定した。奇しくも、師匠の誕生日と同日であった。大阪府出身の大関誕生は、1970年9月場所に新大関となった前の山太郎以来44年ぶりである。埼玉栄高校からは初の大関。協会は直ちに出来山理事と大鳴戸審判委員を愛知県丹羽郡扶桑町の境川部屋宿舎に使者として派遣し、昇進を伝達。伝達式では、「謹んでお受けいたします。これからも大和魂を貫いて参ります」と口上を述べた。しかし、7月場所12日目の日馬富士戦で左外側半月板損傷の重傷を負ったことを受けて、場所直後の夏巡業は全休した。 実母は大関昇進が確実となった豪栄道について「小さいときから肉をよく食べていました。ガキ大将でしたが、今もそのまま大きくなった感じです。大学に進学することも考えてましたが、今はプロに入って良かった」と語っている。
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