廃線に至った経緯とは? わかりやすく解説

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廃線に至った経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:36 UTC 版)

三江線」の記事における「廃線に至った経緯」の解説

三江線部分開通していた当時から利用状況芳しくなかった全通前1968年昭和43年)に国鉄諮問委員会廃止すべき路線として提出した赤字83線に、三江南・北線ともにリストアップされている。 南線沿線1950年代豊富な森林資源背景年間8俵の木炭生産されていた。地域では、鉄道開通による貨物輸送さらなる増産見込まれるとして期待集めていたが、エネルギー革命急速に進行する木炭需要激減結局開通後に貨物列車は1本も走らなかった。加えて1960年代10年間に離村による過疎化急激に進み沿線人口はほぼ半減全国8位の赤字路線となった1975年昭和50年)の全通時には既に閑散路線であり、CTC信号設備などの工事遅れたという事情はあるものの全線直通する列車の設定はなかった。最後に開業した区間両端である浜原駅口羽駅運行系統分断されており、この間には1日4往復普通列車が走るのみであったその後も、モータリゼーションの影響受けて優等列車定期運転が行われず、全通前全通後通して通学利用など地域住民ローカルな移動需要中心に推移してきた。 たびたび廃線話題上り1987年昭和62年)の国鉄民営化の際にも廃止対象路線となっていたが代替道路未整備として外されている。利用者数の減少要因としては、沿線人口減少少子高齢化マイカー利用拡大などがある。また通学利用についても、利便性の高いスクールバス中山間地域から通学する子供を持つ保護者からは支持されていた状況があり、沿線スクールバス運行本数運行区間年々拡大するとともに三江線利用者減少一途たどっていた。 2008年平成20年)度の1日平均利用客前年比12%減の全区間合計で約370人(JR西日本米子支社による)に過ぎなかった。2008年度数字では、三江線輸送密度平均通過数量)は83人/日であり、JRの全路線中、東日本旅客鉄道JR東日本)の岩泉線49人/日)の次に少ない 値であった岩泉線廃止となった2014年4月以後2012年度輸送密度を基にすると、三江線JR運行中の路線最下位となっていた。 2010年平成22年4月には、JR西日本社長会見において、赤字ローカル線バス転換打ち出す という発言をすることもあった(どの路線とは言及していない)が、ついに2015年平成27年10月16日廃止に向けて検討開始したことを広島島根両県に伝えたことが報じられた。中国新聞では、「2017年度廃止想定しているとみられる」と報じられた。 2016年平成28年9月1日JR西日本は「三江線改良利用促進期成同盟会」の会議国土交通省に対して9月末までに廃止届け出る表明した2012年度行われた増便実験ではバス運行により鉄道併せて通常ダイヤの1.7倍から2倍の運行本数実施したものの、乗客増は2割程度に留まったことが明らかとなっており、増便収益増に繋がらない結論付けられた。JR西日本は、平成26年度輸送密度1日当たり50人と会社発足時の約9分の1にまで落ち込んでおり、また、平成18年25年二度にわたり大規模災害による長期間運休余儀なくされ、激甚化する災害リスク高まり看過できない状況から廃止決意した2016年9月23日沿線自治体などで組織する三江線改良利用促進期成同盟会の臨時総会開催されその結果第3セクターなどでの存続案では財政負担重くなることなどを考慮して同線の廃止受け入れ決定した。しかし翌2017年9月末での廃止に対して沿線自治体側から代替交通手段バス路線計画策定には1年半程度必要として廃止時期延期求め要望出された。 JR西日本沿線自治体との会合経て代替バス路線計画策定のための廃止時期延期要望受け入れ2018年平成30年3月末での廃止判断し2016年9月30日JR西日本廃止日2018年4月1日とする廃止届を国土交通省中国運輸局提出した廃線後鉄道施設について、JR西日本沿線自治体無償譲渡決めた。それを受けて島根県1市3町は駅舎などを再活用する方針であるが、維持管理負担から広島県2市は譲り受けに慎重であり、住民との意見交換会踏まえて検討する姿勢示している。 代替交通についても、2017年平成29年5月31日広島合同庁舎中国運輸局沿線6市町でつくる三江線代替交通確保調整協議会が行われ、その結果中国運輸局提示した代替交通運行イメージ回数承認なされたまた、同年6月2日広島県三次庁舎三次市)で開催され広島島根両県と沿線6市町などが沿線地域公共交通議論する協議会で、2023年3月までの地域交通指針となる計画骨子案提示された。 2017年秋頃から、廃線前に最後記念として乗車する利用客増え、特に週末には2両編成列車通勤ラッシュのような混雑となっていた。2017年12月10日には、「ありがと三江線記念入場券セット」が8000セット限定で、三次駅江津駅浜田駅発売された。発売期間2018年3月31日までの予定であったが、完売時点発売終了した。 なお、廃線前に多く鉄道ファン観光客訪れていたところ、2018年1月大雪により線路への倒木100所以上で発生した1月11日から浜原駅三次駅の間で、1月12日からは江津駅浜原駅の間で「当分の間」運転が取り止めとなった(これ以外の区間でも運転を取り止める列車一部出た)が、1月16日江津駅石見川本駅の間での運転が再開された。さらに2月2日始発列車から石見川本駅浜原駅の間、2月22日始発列車から口羽駅三次駅の間、2月24日始発列車から浜原駅口羽駅の間で運行再開され、これにより全線で運転が再開された。 2018年2月24日にはJR西日本グループ日本旅行による企画で、「サロンカーなにわ」による団体臨時列車大阪駅から浜田駅まで「サロンカー江の川」として運行され、これに接続して三江線内の臨時列車運行された。同年3月3日に、廃止後の代替バス再編計画認定され後述バス路線確定した3月17日ダイヤ改正により、三江線列車はすべて臨時列車扱い列車番号が9000D番台)となり、廃止控えて利用者増えたため、全線通して運行される列車が1往復増便された。すべての列車が2両以上で運行されるようになり、本来の浜田鉄道部キハ120形だけでは車両不足したため、木次鉄道部下関総合車両所新山口支所キハ120形応援入った。そして、3月31日最終列車をもって運行終え廃止当日迎えたJR発足後路線距離が100kmを超える鉄道路線全線廃止本州では初の事例となった

※この「廃線に至った経緯」の解説は、「三江線」の解説の一部です。
「廃線に至った経緯」を含む「三江線」の記事については、「三江線」の概要を参照ください。

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