平安時代~明治時代とは? わかりやすく解説

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平安時代~明治時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:37 UTC 版)

平仮名」の記事における「平安時代~明治時代」の解説

平仮名のもとになったのは、奈良時代中心に使われていた万葉仮名まんようがな)である。「いろは歌」と平仮名混同から、平安時代初期名僧能筆家でもあった空海平仮名創作したという誤解がある。 万葉仮名楷書や行書のほか、草書書かれることもあった。草書万葉仮名を、平仮名前段階として草仮名そうがな)と呼ぶ。すでに8世紀末の正倉院文書には、字形筆順の上平安時代平仮名通じ草仮名記されている。9世紀中頃の『藤原有年申文』(貞観9年867年〉)や同時期の『智証大師病中言上艸書』などの文書類、京都市藤原良相(冬嗣の五男で右大臣上り詰めた公卿813〜867)邸遺跡から見つかった土器群にも見られるまた、宮城県多賀城跡遺跡から発掘され土器や、富山県射水市赤田遺跡からも草仮名書かれ墨書土器発掘されているため、同時期に地方赴任した官人らによって、日本各地普及し始めた考えられる宇多天皇宸翰の『周易抄』(寛平9年897年〉)では、訓注草仮名を、傍訓片仮名それぞれ使い分けており、この頃から平仮名独立した文字体系として次第意識されつつあったことが窺えるその後草仮名の略化が進み、ついに漢字草書体から形が逸脱した。こうして、文章を記す書記体系として確立したのが平仮名ひらがな)である。 平仮名誕生した当初から、ひとつの音節に対して複数字体 (異体字) があった。異体字万葉仮名比べる遥かに少ない。平仮名による表現頂点達した平安時代末期時点で、異体字総数が約300種、そのうち個人使用したのはおよそ100から200種ほどとされる9世紀後半から歌文の表記などに用いられていた平仮名公的な文書現れるのは、醍醐天皇時代勅撰和歌集である『古今和歌集』(延喜5年905年〉)が最初である。その序文漢文である真名序と、仮名書かれ仮名序のふたつがある。また承平5年935年)頃に紀貫之著した土佐日記』については、後にその貫之自筆本巻尾藤原定家臨書したもの伝わっており、当時すでに後世平仮名とほぼ同じ字体用いられていたことが確認できる天暦5年951年)の「醍醐寺五重塔天井板落書」になると、片仮名記され和歌一節平仮名書き換えており、この頃には平仮名は文字体系として完全に独立したものになっていたと考えられる。なお「平仮名」という言葉登場するのは16世紀以降のことであり、これは片仮名区別するために「普通の仮名」の意で呼ばれたのである山梨県のケカチ遺跡甲州市塩山下於曽)からは、全て平仮名和歌刻んだうえで焼成したとみられる10世紀半ばの皿状土器2016年出土しており、国司官人赴任により地方にも次第伝播したことがうかがえる平仮名による最初期文学作品である紀貫之の著『土佐日記』は、作者女性仮託して書かれているというのが通説である。貴族社会における平仮名私的なかあるい女性によって用いられるものとされ、女流文学平仮名書かれた以外にも、和歌消息などには性別問わず平仮名用いていた。それにより女手おんなで)とも呼ばれた平安時代貴族女性は、大和言葉用いた平仮名使って多く作品残した平仮名書かれたものは私的な性格が強い文書使われ地位低く見られていたが、中国との公的交流断絶長くなるにつれて勅撰和歌集用いられるまでに進出した

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平安時代 - 明治時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 08:36 UTC 版)

変体仮名」の記事における「平安時代 - 明治時代」の解説

平仮名誕生した当初から、ひとつの音節に対して複数字体があった。これらは同じ文章なかでも混用された。元来平仮名変体仮名という区別はなく、書き手様々な種類平仮名同時に用いて使いこなしていたのである片仮名もはじめは異体字いくつかもって生まれたが、平安中期には1種類へと統合する傾向強まり早い段階で今とほとんど同じような一母一字整った(ヰと、ネとは明治33年まで両立していた)。対して平仮名は、初期一度簡略化へと進んだにもかかわらず、その極致に至るとまた複雑化傾向へと進み片仮名にあったような統一化傾向はほとんど見られなかった。平仮名体系は、このような異体字を持つ文字体系として、平安時代が終わる12世紀にほぼ完成していたとされる鎌倉時代以降の書では、著者ごとの書風や癖のような字形違いはあっても、字体字母には大きな変化見られず、一貫して平安時代のものが平仮名の手本とされてきた。平仮名において複数字体併用されつづけた理由は、ひとつには美術作品としての表現手法もうひとつには単純過ぎて判別困難だった初期平仮名改良した結果だと考えられている。 紀貫之の『土佐日記』、清少納言の『枕草子』、紫式部『源氏物語』のような平仮名文学、あるいは草子のような出版物、また手紙個人の手記などについても、明治時代までは平仮名によって書かれ文章多くが、今でいう変体仮名交えて書かれている。特に、平安時代末期装飾写本西本願寺本三十六人家集のように美的効果重視され作品では、単調さを嫌うかのように多く字体用いられる傾向が強い。ただし、標準的な字体それ以外字体区別近代以前からすでにあり、平仮名50音図を書く場合などは、ほとんどに、後世現用字体使われていた。 明治時代小学校設置され当初も、仮名字体複数教えられていた。たとえば、1884年明治17年)に文部省編集した教科書読方入門』では、字体1つとされた字は8字にすぎない当時作られ教練教科書所収の「軍人勅諭」には多数変体仮名ちりばめられている[要出典]。 11世紀中期高野切安政2 (1855) 年「しんよし原大なまづゆらひ」 明治19 (1886) 年『現今児童重宝記 : 開化実益』「変体いろは四十七字」

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