藤原有年申文
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有年が讃岐介在任中の貞観9年(867年)に作成した申文である『讃岐国司解藤原有年申文』(さぬきのこくしのげ ふじわらのありとし もうしぶみ)は、現存する最古の草書体の仮名、かつ仮名を使用した公文書である。東京国立博物館所蔵。 この申文は、「讃岐国戸籍帳」1巻の見返し(表紙裏)に有年が記したものであり、「讃岐国司解」という解文の前に添えられている。「讃岐国司解」とは、貞観9年(867年)2月16日、那珂郡と多度郡に住む因支首(いなぎのおびと)一族から出された和気公(わけのきみ)への改姓願いであり、讃岐国司が太政官に提出した。この時、有年は讃岐介を務めており、その『有年申文』の全文は、 改姓人夾名勘録進上 許礼波奈世无尓加 官尓末之多末波无 見太末ふ波可利止奈毛お毛ふ 抑刑大史乃多末比天 定以出賜 いとよ可良無 有年申 と記されている。以下は中古日本語の一部の訓読である。 (改姓人夾名勘録進上) これは何(な)為(せ)むにか 官(つかさ)に申(ま)し賜(たま)はむ 見(み)賜(たま)ふばかりとなも思(おも)ふ 抑(そもそも)刑(ぎや)大(たい)史(し)宣(のたま)ひて (定以出賜) いと良(よ)からむ (有年申) なお、貞観9年(867年)2月16日時点での讃岐国司の陣容は以下の通り。 (守) 藤原良縄 正四位下 参議・右衛門督 (権守) 藤原良世 従四位上 蔵人頭・皇太后宮大夫 (権介) 当麻鴨継 正五位下 主殿頭 (介) 藤原有年 従五位下 (権掾) 藤原(房雄か) 従五位下 左近衛将監 (権掾) 藤原有実 六位か 蔵人・左近衛将監 (掾) 高階(全秀か) 従六位上 (大目) 秦安統 正六位上 (権大目) 土師(欠名) 正六位上 (少目) 阿岐奈(安継か) 正六位下 このうち、守・権守・権介任官者は、何れも京官を本職としていることから、遙任として讃岐国には赴任しておらず、讃岐国現地では、介たる有年が讃岐国司の筆頭として本文書の差出人となったと考えられている。
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