学者・フェミニスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:50 UTC 版)
中里見博:大阪電気通信大学教授、ポルノ・買春問題研究会(APP研)副理事長 ボルノグラフィが正当な商品として流通していることは、女性にとって心理的な圧迫や暴力を与える。 ポルノグラフィによる被害は「制作被害」「消費被害」「社会的被害」の3点にある。制作被害は、AV制作現場で出演女優に生じる被害など直接的なもの。消費被害は、ポルノを繰り返し使用した男性により、女性が性犯罪・性暴力を受けるなど間接的なもの。社会的被害は、ポルノに描かれた特定の集団の地位が下がり差別の対象になることと定義する。 特に実在の人物を使う必要のない漫画・アニメなどの創作物は、生身の人間に決してできないような虐待・拷問・凌辱が可能であり、消費被害を生むため、法規制が必要である。 わいせつ物頒布罪という道徳に基づいた規制と、未成年者への販売ルート規制の路線は同意しない。法規制は他者の権利を侵害して作られたポルノグラフィと、現実に権利侵害を生んだボルノグラフィに限定し、被害者の権利を回復するための責任追及をするためのもの。 キャサリン・マッキノンはゾーニングを「ポルノグラフィを許容すること=生きた人間の搾取を認めること」としており、中里見博もゾーニングに否定的。 論文にポルノグラフィが詳細に描写されたり、医学書で生殖器が露出していても摘発されないのと同じで、性的な描写1コマをもってわいせつ・有害をとりしまるなど、物語の文脈を無視した取り締まりには反対。
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学者・フェミニスト
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上野千鶴子:フェミニスト、東京大学名誉教授、NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長 想像力は取り締まれず、規制はムリだしムダである。精神分析論では表象(ここでは表現や作品)は夢にあたり、夢は抑圧からの逃避、代償、現実に対する補償などの機能を果たす。現実と表象は対象関係ではなくねじれの関係であるからこそ、逸脱が許容される。 日本はハイ・コンテクストで、表象において一定のお約束事の集約が多い。たとえば、春画の性器はあり得ないほど巨大で、ヨーロッパ人は『日本人はこんなに性器が大きいのか』と誤解したが、日本人は誤解をしない。これはコンテクストを共有しない消費者に問題があり、生産者は誤読の責任を取らなくてもよい。文化消費に唯一の正解はなく、誤読によって新しい価値の発見もありえる。 ポルノグラフィの消費者がみんな犯罪者なら大変な数の犯罪者がいるはずだが、実際にはそうなっていない。 研究や表現にあたってはタブーや制限があってはならない。実際のAVなどで、本人の合意によらない強姦や暴力は人権侵害である。子どもの教育に悪いからと、公権力による規制を求めるひとびともいるが、親の選択と姿勢の問題を、メディアや表現の規制に置き換えるのは本末転倒である。 消費する側には、不快な表現について、見ない自由、見ないですむ自由が当然あってよく、警告によるゾーニングやスクリーニングでの「選択の自由」を提案する。 嫌ならば見なければよく、思想・信条・言論の自由とは、自分が嫌いなものを他人が選ぶ権利を容認することである。 志田陽子:憲法学者、武蔵野美術大学教授 猥褻表現を規制する事は女子差別の克服に殆ど効果はなく、むしろ規制による弊害の方が大きい。 白田秀彰:法政大学社会学部准教授 日本は世界に冠たるエロ大国だが、実際に性行為をする割合は非常に低い。 猥褻という概念は、社会の上層部が自分たちが上品であることを証明したいがためにつくられたものである。キリスト教のごく特殊な教義と上層階級の財産継承を維持するための規範を、正当化するためにシステムがつくりあげられ、法律になっているだけである。 宮台真司:社会学者、首都大学東京教授 暴力・性表現が暴力・性行為を誘発するかは、家族や仲間の反応に影響される。子供が単独でゲームやビデオに接触したり、接触した後に誰ともそれについて話し合わないような環境が続くことが問題である。表現に接触可能な人・時間・場所の制限といったゾーニングが望ましい。 実在する未成年者が映画やビデオやゲームなどに出演し性行為や性体験をするのは、成人が行う場合に比べて、禍根を残すような間違いとなる可能性が高く、規制は合理性がある。しかし架空のキャラクターの性行為や性体験の描写には、尊厳を侵害され、自己決定権を脅かされる当事者は存在しない。表現に衝撃を受けたり不快を感じる可能性は、受け取り方の個人差が大きい。表現規制ではなく、前述のゾーニング規制によって対処すべきである。 表現を通じてでしか描けない、大人や社会についての批判的描写があり得る。そうした描写が村上春樹の最新小説に許されて、漫画作品に許されないのは不合理である。性表現の規制は、社会的意思表示機能を果たすだけでなく、社会の文化的な豊かさを支える表現を不公正に萎縮させる機能をも果たす。 暴力的なメディアや創作物に短期的影響があることは間違いないが、長期的影響は認められない。暴力的なメディアを見ると暴力的になる、性的なメディアを見ると性的になる、といった考えは「強力効果論」と言われ、1930年~1940年代にアメリカのクラッパーが数十回の調査研究を行った結果、「強力効果論」は実証されなかった。クラッパーが代わりに証明したのが、メディアに接触した当初は模倣行動が起こるものの、一時的であるという考えの「限定効果論」である。 メディアの側はなにかわけのわからないことが起きたらとりあえず「誰かのせいだ!」というふうに吹きあがることによって「カタルシス=感情的な浄化を獲得する」という「帰属処理」を行ってきた。 自分と関係のない者に帰属して胸をなでおろすというエゴイズムが背景にある。 「強力効果論」「限定効果論」はともにマスメディアの報道姿勢問題・影響を指し、創作物は無関係であり、同一視できないとの指摘もある。
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