学者や専門家向けの上映
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「シネマトグラフ」の記事における「学者や専門家向けの上映」の解説
1895年2月にシネマトグラフの特許が交付されてから、12月末に最初の商業上映が開始するまでの間、リュミエールは学術研究者や写真専門家向けの集会などでシネマトグラフの上映を数回行った。その最初の上映、すなわちシネマトグラフが最初に人々の前に披露されたのは、1895年3月22日にパリの国立工業奨励協会で行われた3月例会においてである。例会ではルイによる写真産業とカラー写真に関する講演会が行われ、その際にシネマトグラフで『工場の出口』が上映された。この例会には写真会社のゴーモン社の経営者であるレオン・ゴーモンと秘書のアリス・ギイも出席していた。ゴーモンはシネマトグラフの上映に刺激を受けて映画事業に進出し、やがてゴーモン社はパテ社に続くフランス映画を代表する映画会社となった。アリス・ギイも後にゴーモン社で映画製作を行い、世界最初の女性映画監督となった。 6月10日にはリヨンの証券取引所ホールで行われたフランス写真協会会議の席上で、『工場の出口』『水をかけられた散水夫』『赤ん坊の食事』など8本の作品が上映された。会議の報告書では、シネマトグラフを「達せられた進歩は著しい。あとはもはや蓄音機の組合せと色彩によってそれを補うことしか残っていない。そうなれば、人生のできる限り正確な再現となるに違いない」と評し、上映作品に熱狂的な称賛の拍手が送られたと記した。6月12日にはベルクール広場の店で催された写真協会の打ち上げパーティーで、10日に上映した8本に加えて、6月11日に会議出席者の小旅行を撮影した『ヌーヴィル=シュル=ソーヌへの会議出席者の到着』と、フランス写真協会会長のピエール・ジャンサンとリヨン写真同好会会長のラグランジュの対話を撮影した『ジャンサン氏とラグランジュ氏の討論』の2本が上映された。『ジャンサン氏とラグランジュ氏の討論』を上映した時には、ラグランジュがスクリーンの裏に隠れ、撮影の時に話した言葉を喋ることで、映像と音声を同期させる試みが行われた。 7月11日にはパリで開かれた学術雑誌の集まりで、150人ほどの招待客を前にして10本の作品が上映された。9月22日にはラ・シオタのアントワーヌの別荘で、約150人の招待客に向けて『工場の出口』などが上映された。11月10日にはブリュッセルで行われたベルギー写真協会の集会で上映されたが、これは最初のフランス国外におけるシネマトグラフの上映となった。11月16日にはソルボンヌで上映が行われたが、この時は数多くの学者や名士が出席し、上映に先立ってジャン・ガストン・ダルブー、ガブリエル・リップマンなどによる講演が行われた。
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