学者を志して出奔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:20 UTC 版)
元治元年3月(1864年4月)、16歳の乃木源三は、学者となることを志して父・希次と対立した後、出奔して、長府(現・山口県下関市)から70km以上離れた萩(現・同県萩市)まで徒歩で赴き、兵学者の玉木文之進への弟子入りを試みた。玉木家は乃木の親戚筋であった。文之進は、乃木が希次の許しを得ることなく出奔したことを責め、武士にならないのであれば農民になれと述べて、乃木の弟子入りを拒絶した。しかし結局、乃木は玉木家に住むことを許され、文之進の農作業を手伝う傍ら、学問の手ほどきを受けた。 元治元年9月(1864年10月)から、乃木は萩藩の藩校・明倫館の文学寮に通学することとなった。一方で、同年11月(同年12月)から一刀流剣術も学び始めた。一刀流については、明治3年1月(1870年2月)に、技術習得を意味する「目録伝授」されている。
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