原型機発注
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1954年中頃にアメリカ海軍航空局は全天候戦闘機の提案要求を出した。これに対してマクドネル社からは単発のF3H-Eと双発のF3H-G、他にグラマン社とノースアメリカン社から提案が提出された結果、1954年10月18日にマクドネル社はF3H-G案を基にしたYAH-1プロトタイプ2機建造の同意書を受け取った。しかし、海軍側で要求を明確にすることができずにいたため、実用化を約束されたものではなかった。とはいえ、数ヶ月のうちに要件として半径250海里で2時間以上の戦闘航空哨戒を実施できる艦隊防空戦闘機とすることが明確になり、F4H-1と改称されることとなった。 マクドネル社のモックアップは4門の20mm機関砲を装備することとしていたものの、アメリカ海軍は4発のスパローミサイルの装備のみを要求した。しかしながら、前述されたこの楽観論は、後にアメリカ海軍をはじめとする使用者を悩ませる問題を引き起こすこととなった。F3H-Gは新基軸となるスパローの胴体下半埋め込み式装備に変更され、また、M1.5を想定していたライト J65から当時最新鋭のゼネラル・エレクトリック J79-GE-2に変更してM2級とすることとなった。 要求仕様では火器管制装置の技術的信頼性の問題から搭乗員数の指定はなく、マクドネル社は単座と複座の両案を提示していた。これに対してアメリカ海軍は早々に複座案を採択した。また、胴体中心線上の600ガロン入り落下タンク用を除きパイロンは廃止されるものとされた。 1955年6月25日に2機の「XF4H-1」テスト機と5機の「YF4H-1」試作機の正式契約が締結された。 NASAで研究に使用されたF-4A無論、初期型であるため機首部分に機関砲は搭載されていない(1965年) 試作機のYF4H-1主翼形状などにおいて量産機との差異が確認できる
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原型機発注
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「F-15 (戦闘機)」の記事における「原型機発注」の解説
1969年12月にアメリカ空軍は、マクドネル・ダグラス社と開発契約を結んだ。設計主任はジョージ・グラーフ、空力担当にはドン・マルバーンが就任した。また、セントルイスの工場では2基の空対空戦闘シミュレーターが開発され、研究に用いられた。本開発では900時間以上の設計改善が行われ、風洞実験では100種類以上の主翼形状の試験が行われた。 F-4は双発でありながら、片方のエンジンの被弾後に両エンジンが停止したり、火災で墜落する事例が見られた。これを教訓にF-15ではエンジン間の縦通材などとして、エンジン周りにチタンを多用して耐熱性や強度を確保し、さらには消火システムを充実させ、燃料タンク配置にも配慮が払われた。 エンジンの開発はプラット・アンド・ホイットニーとゼネラル・エレクトリックの提案から、1970年3月にプラット・アンド・ホイットニーがF100ターボファンエンジンの開発契約を結んだ。初期推力試験は1972年3月末までに終了し、1年後には型式証明を取得するための試験を終了させた。 レーダーはヒューズ社とウェスチングハウス社の提案から、1970年9月にヒューズ社のAN/APG-63レーダーを選定している。 固定武装のM61A1機関砲には、当初フィルコ・フォード社で無薬莢式の弾薬を新規に開発し使用する予定であったが、不規則な弾道性能に対するフィルコ・フォード社からの開発期間の延長の申し入れを受け入れずに従来の弾薬を採用することとなった。 1971年2月、アメリカ議会上院歳出委員会はF-14とF-15の比較検討を行い、F-14はF-15の任務をすべて果たせるが、F-15はF-14の任務をすべて果たすことはできないとF-15が劣ることを指摘し、空軍・海軍共に同じ機種を採用すべきとの意見が挙げられた。これに対し空軍は、F-14は艦隊防衛に特化した機体であり、F-15は機動性の高い制空戦闘機であると反論した。一方、アメリカ国防総省内部からはF-15を基本とした海軍型(艦上戦闘機)のF-15Nの検討を指示する動きもあった。 開発にあたり当初12機、1972会計年度で8機の前生産型を発注し、それぞれ以下のような作業や試験が割り当てられた。 F1 (1号機) - (71-0280)性能領域の探求、運用特性、外部搭載物試験 F2 (2号機) - エンジン試験 F3 (3号機) - 電子装備開発、気流速度計測(これ以降の機体はAN/APG-63火器管制装置を搭載) F4 (4号機) - 構造試験 F5 (5号機) - 機関砲・兵装・兵装架射出試験(これ以降の機体はM61A1 ガトリング砲を搭載している) F6 (6号機) - 電子装備試験、及び飛行制御・ミサイル発射評価 F7 (7号機) - 兵装、燃料、兵装架 F8 (8号機) - 異常姿勢特に錐もみ特性、高迎角評価 F9 (9号機) - 機体、エンジン適合評価 F10 (10号機) - レーダー、電子装備の試験 T1 (11号機) - 複座型評価。後にF-15S/MTDとなる T2 (12号機) - 複座型。マクドネル・ダグラス社の飛行実演機。後にF-15Eの試作機となる。 F11 (13号機) - 実用試験 F12 (14号機) - コンフォーマル・フューエル・タンク装備機:実用試験 F13 (15号機) - 実用試験 F14 (16号機) - 気象環境試験。試験終了後にイスラエルに売却 F15 (17号機) - 使用されず、イスラエルに売却 F16 (18号機) - 実用試験、及び飛行実演後にイスラエルに売却 F17 (19号機) - 「ストリークイーグル計画」に使用 F18 (20号機) - 使用されず、イスラエルに売却 1972年6月26日に初号機がマクドネル・ダグラス社セントルイス工場で完成。同日、ロールアウト記念式典が行われた。 初号機は後日一旦分解されてカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地へC-5輸送機で搬送されて再度組み立てられ、7月27日にモハーヴェ砂漠上空でマクドネル・ダグラス社チーフテストパイロットのアービン・L・バローズにより、約50分間の初飛行を実施した。1973年7月に飛行回数1,000回を数えるまでの間に最大速度マッハ2.5、最大到達高度18,290mを記録している。 2年余りに及ぶ原型機による試験・評価作業で判明した修正は以下の細部変更に止まり、原設計の堅実さを証明することとなった。 主翼端後部の切り落とし 水平安定板へのドッグトゥースの追加 エア・ブレーキの大型化とそれに伴う開度制限
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